のと爺の古事記散歩

古希まぢかの爺さんが勝手気ままに古事記を散歩します。

古事記はどうやって今に伝わっているのか

1300年以上も前に書かれた古事記が今に伝わる経緯は?

はじめに
  私が古事記を真面目に読むようになったのは、某カルチャーセンターで古事記関連の講座を受講したことがきっかけでした。昨年の4月に、40数年勤めたサラリーマン生活から完全リタイアし、エブリデーサンデーの生活となりました。まぁ、あと10年は自力で動ける生活をしたいなぁと思っている中で、前述の講座を見つけて受講した次第です。
 もちろん、それまでは古事記の何たるかも知らず、童話的な因幡の白兎や八岐大蛇の話を知っている程度でした。大黒様は兎と話せるのか?とか、首が八つなら股は七つ。ならば七岐大蛇じゃないか?なんてことを子供の頃には考えていましたが・・・。
 ところが、セミナーを受講して一気に古事記への関心が高まりました。とにかく、神代の話が荒唐無稽で実に面白い、こんな話がなぜ遙か昔に誕生したのか、その裏側には何があるのか、天皇の血筋にサメがいる?そんなバナナ。そして、いかにして古事記が現代にまで伝わっているのか等々、興味津々となりました。
 そこで、まず、書かれている内容を理解することから始め、次に、古事記を献上された元明天皇古事記をどのように扱ったのか、つまり、天武天皇が意図した「天皇が国を治める正当性の周知」をどのように実現したのか、そもそも、誰が古事記を読んだのか、このような疑問の解明を行おうと考えました。

結論
 ハナから結論を言っちゃいます。「私の疑問を直接的に解決するようなことは見つかりませんでした。記録がないのかも・・・。」
 なぁ~んだ、じゃぁ読むのやめた、なんて言わずに是非、目を通して下さい。但し、学者でも研究者でもないただの老人(今年、古希です)が思いつくままに書いていますので、中身は何もありません。文章も上手くありません、悪しからず。
着手して分かったのですが、この種の疑問を解決するような情報が書いてある古事記関連図書が殆どない(私が見た限りですが)、ということでした。こんな疑問を持つ暇なやつはいない、ということか?
 古事記天武天皇の意図を達成するための手段だと考えれば、意図達成のために関係部署?は古事記という手段をどのように使ったのか、という疑問が当然湧いてくると思うのですが・・・。
 いろいろ調べていくと、古事記に書かれている内容の解釈に係る研究はあるが、天皇古事記をどう利用したのか、というようなことに関しては情報が見つかりませんでした。

 参考文献ではどう書かれていたか
  後述の参考文献の中には古事記についてこんなふうに書かれているのがあり
  ました。
  ・皇后、皇子に読ませる娯楽用、教育用だった。
  ・神々と天皇家の関係を周知納得させ、天皇中心の氏族制度を確立するため、
   各氏族の族長に読ませた。
  ・日本書紀が対外用で、古事記はあくまでも天皇家の私的なものだった。
  ・日本書紀を編纂するための練習として書かれた。
  ・天皇一族、周辺に読ませるため神話的・祭祀的である。
  ・記紀とも天武帝の意志を実現しているが、天皇家の私的な歴史と国家的な正史
   との違いがある。古事記六国史に入っていない。
  ・古事記日本書紀を読むときの参考書だった。

一般的には、古事記は完成以降、長い間世に出ることなく鎌倉時代に偶然写本が見つかるまでその存在すら知られていなかった、とあります。しかしながら、それは天皇やその周辺の人達以外には知られていなかったという意味であり、貴族、官僚、あるいは神官というような一部の人達には十分知られていたと思われます。天武天皇の意図はこのような状況にあることで達せられていると言えるのかも知れませんね。なにしろ、文字は漢字のみで、すべてが書写の時代ですから。
 日本で木版が盛んになったのは寛永年間と言われています。ですから、それまでは書写に次ぐ書写で大変だったと思います。古事記日本書紀も貴族、僧侶、神官達によって書写され特定の家や集団の中で秘書として扱われていた。まぁ、中身が天皇に関わることだけに取り扱いも大変だったんじゃないかと推測します。
 こんな話もありました。古事記は当時の権力者であった藤原不比等にとって都合の悪いことが書かれていたので、書き換えが命じられた。それで書かれたのが日本書紀である。なんてね。さすがにこれはどうかと思いますが、結構デリケートな問題だったのかも知れませんね。

古事記編纂から本居宣長古事記伝まで
 古事記編纂から古事記伝完成までを時系列に見ていきます。

 和銅5年(712年)  古事記成立

 弘仁3年(812年)  多人長(安万呂の子孫)の弘仁私記日本書紀講義録)に
           古事記作成の経緯が書かれている。自分の先祖が書いたが、
           その後100年も眠っていたので、古事記を目覚めさせるため
           書いた?
            ついでに、安万呂は日本書紀の編纂にも関わったとも
           書いてあるそうです。

 鎌倉中期      1260年代、公家や祭祀関係者による書写が行われていた。
            (真福寺本奥書から判明)

 南北朝時代     1372年 現存最古の写本・真福寺本が僧・賢瑜により
           書かれた。
           

 室町初期      1424年 最古の注釈書「古事記裏書」が書かれた。
           伊勢神宮内宮権禰宜 沙弥道祥による。

 寛永21年      1644年 最古の版本 卜部系寛永版本が発行された。
            ※ここでやっと版本が出た。出版文化の発展で普通に 
            誰でも買って読めるようなった。文字が読めればの話だが。

 貞享 4年      1687年 伊勢神宮外宮権禰宜 度会延佳「鼇頭(ごうとう)
           古事記」発刊。
           寛永古事記には誤りが多いとして複数の写本から正しい
           古事記本文を作成。現在、都立中央図書館に保管されている。
           ※ちなみに、この年に綱吉の「生類憐みの令」が出ている。

 宝暦 6年(1756年) 本居宣長が京都遊学中に書肆にて寛永版本を購入した。
           大山為起という江戸初期から中期の神道家の蔵書だったと
           言われる。

 宝暦13年(1763年) 本居宣長国学者賀茂真淵万葉集研究者)と面談、古事記
           研究の契機となる。翌年から古事記伝作成に着手。

 寛政10年(1798年) 古事記伝全44巻完成。なんと、35年も費やした。


 古事記は完成以降、中世までの長年の間、神道では読まれていたようだが、研究という面では殆ど行われていなかったようです。古事記の研究が本格的に行われるようになったのは江戸中期からで、その頂点が本居宣長古事記伝だったのではないかと思われます。

 宣長以降はどうだったのかというと、古事記伝はもちろん、宣長自身に対する研究も出て宣長像もいろいろ評価されるようになってきた。そして明治維新以降、あるいは第二次大戦以降、その時々の国情に合わせていろいろな解釈、研究が発表され不敬罪に問われるような事態も生じている。古事記を研究するとどうしても天皇に関わることを研究することになるのでねぇ。
  

神道の歴史
 ここからは神道の歴史について見てみます。
 8世紀初頭に記紀が著されたことで国内外に向けて、日本は神を祖先とする天皇を中心とした国であるということを示し、神道という言葉が記されました。そして、奈良時代になると神仏習合となって寺院に神が祀られるようになり、この形がその後1000年以上続きます。天皇が譲位後、出家し法皇になり、また、皇位を継がない皇子を出家させ、有力寺院の住職に据えるなどが行われました。
 鎌倉時代になると本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)が生まれます。神様の本来の境地=本地は仏様と同じであり、人々を救うために仏様が神様に姿を変えている=垂迹した、という考え方です。権(かり)に現れた神様を権現(菩薩という場合もある)、元になった仏様を本地仏という。
ところが、明治維新後の新政府では今度は神仏分離令が出されます。これは天皇制復古と祭政一致を行うため神道と仏教を分離するもので、神社から仏像などが撤去されました。そして更には、多くの神社の祭神が古来祀られてきた土地の神々から、記紀に書かれている天皇につながる神々に変更されたということです。(このことは初めて知りました。ビックリポンでした)このため、その神社古来の祭神が不明になった神社も多くあるようです。一例としては富士山本宮浅間神社主祭神は木花之佐久夜毘売ですが、近代以前は火山を表わした浅間大神という神が信仰されていたそうです。今は浅間大神=木花之佐久夜毘売と考えるようですが。
さらに、明治政府により国家神道が作られ、天皇崇拝と国家主義思想が重要な思想とされましたが、第二次大戦後はGHQにより政教分離が行われ国家神道は解体されます。

このように近代では神道は政治的に利用される場合が多くあり、また、国家神道解体により現代は神話教育が難しい時代ですが、神社を中心とした「風習としての神道」については現代でも日本人の生活の中に活きていると思います。古代から続く皇室行事などは未来永劫残っていって欲しいですね。
天皇大嘗祭が楽しみです。

終わりに
 「古事記は奥が深いなぁ~」というのが実感です。1300年余の歴史がある古事記を理解するにはまだまだ勉強が足りません。これからも一層深読みを続けて行きたいと思います。

 最後に私の現段階での古事記感を述べます。古事記はその内容からみて、特に神代における荒唐無稽の話を信じる読者は誰も居ないでしょう。しかしながら、これだけの壮大な物語が古代日本で書かれていたということは驚きであり、感激です。現代の作家でも中々書けないでしょう。
 古事記偽書であるとか、序文は後世に書かれたものだとか諸説がありますが、私にしてみればどちらでも良い話で、もっと気楽に楽しく読めば良いのではと思います。学者、研究者の方々にしてみればそうは行かないのでしょうが、安万侶が知ったら迷惑な話なのではないでしょうか。 
 古事記には東南アジア等の神話と酷似している話がいくつかあるようです。残念ながら私は海外の神話までは未だ読めていないので具体的に言えませんが、大気都比売神の死体から五穀が生まれたという、いわゆる死体化成神話は東南アジアから太平洋の島々に広く伝わっているとのことです。そう聞くと、花咲か爺さんの話もポチの墓から桜が生えたという意味では死体化成神話の一つですかね。
 ということは、古事記の編者は国内の伝承や風土記のみならず、海外の神話まで研究していたということになります。これはもう、当時にしてみれば大変なことだったのではないかと思います。それにしても、海外神話はどうやって古代日本に伝わったのでしょうか。また新たな疑問が生まれてしまいました。誰か教えて~!
 


参考文献(著者敬称略)
現代語古事記           竹田恒泰   学研
古事記解読            小林誠    幻冬舎
日本古典文学全集 古事記     山口佳紀他  小学館
古事記はいかに読まれてきたか   斎藤英喜   吉川弘文館
はじめて読む人の古事記      今野華都子  致知出版社
神話で読みとく古代日本      松本直樹   ちくま新書
古事記及び日本書紀の研究     津田左右吉  毎日ワンズ
古事記の謎をひもとく       谷口雅博   弘文堂
神話のなかのヒメたち       産経新聞   産経新聞出版
その他、ネット情報