大国主神を助けたヒメ神たちを改めて考えて見ましょう
古事記によれば、大国主神には6柱の妻と180柱の子供がいたとあります。そこで、大国主神がスーパーヒーローになるまでに支えた妻や女神たちを改めて考えて見ましょう。便宜上、オオアナムジの時期もオオクニと表現しています。
①八上比売(やがみひめ)
なんてったって、最初の妻である八上比売です。八十神の求婚を拒絶し、オオクニと結ばれた。この結婚を予告したのがオオクニに助けられた因幡の素兎です。しかしながら、後日、オオクニの本妻となるスセリヒメの嫉妬を恐れ、自分が生んだ子を木の叉に差し挟んで因幡に帰ってしまった。それでその子を木俣神という。
八十神の八より上のお姫様、強い! でも、子供が可哀想じゃないかい?
祀る神社 ・・・ 売沼神社(鳥取県)八上姫神社(島根県)等
②刺国若比売(さしくにわかひめ)
オオクニの母上様ですね。オオクニは八上比売を娶ったことで八十神の怒りをかい、命を狙われ二度殺されます。一度目、欺かれて赤く焼けた石に押し潰され死んだ時、刺国若比売は神産巣日神に助けを求めた。神産巣日神はキサカイヒメとウムカイヒメを遣わし、この二柱の女神によりオオクニは見事に生き返った。
二度目、大木に切り込みを入れた割れ目に挟まれて殺された時、今度は自力で助け、生き返らせた。しかし、その方法については書かれていない。
いずれにしろ、母の凄い気合いだ。気合いだ、気合いだ、気合いだぁ~っ!
祀る神社 ・・・ 赤猪岩神社(鳥取県)等
③キサカイヒメとウムカイヒメ
②の通り、殺されたオオクニを救うため神産巣日神に遣わされた。キサカイヒメが石に張り付いたオオクニの身体をこそげ集め、ウムカイヒメが待っていて受け取り、母親の乳を塗ったところ、オオクニは立派な青年になって出歩いた。
ここで言う母親とは刺国若比売のことですね。母は強し!
祀る神社 ・・・ 伊能知比賣神社(出雲大社の摂末社)等
④須勢理毘売(すせりびめ)
オオクニが八十神の追求を逃れスサノオの居る根之堅州国に行ったところ、出てきたのが娘の須勢理毘売だった。二人は互いにビビッときて、あっという間に結婚、そしてスサノオに事後報告。ん~っ、なんか今風ですね。
その後、スサノオからの数々の試練を須勢理毘売の助けで克服、最後は駆け落ち同然で根之堅州国を逃げ出すのです。そして、後を追ってきたスサノオから須勢理毘売を本妻とし、八十神を倒し、大国主神となり国造りをするよう檄を飛ばされるのです。
でも、よく考えて見ると・・・。
オオクニはスサノオの6代孫、スセリビメはスサノオの娘、ということはこの二人の年の差婚はいったいいくつ?1代50年として~、いやいや、考えない方がいい?
祀る神社 ・・・ 大神大后神社(出雲大社の摂末社)等
⑤沼河比売(ぬなかわひめ)
さらにさらに、オオクニの妻乞いは止まることなく、今度は高志国の沼河比売に求婚するためその家に出かけ歌を詠みます。比売も返歌を歌いますが、その日は会わず次の日に結ばれます。そしてこれが男女の問答歌の始まりと言われています。
高志国(北陸)はヒスイが取れた日本唯一の場所と言われ、オオクニはヒスイを目的に行ったのでしょう。でも、ヒメは1日焦らしたんですね。女心の微妙なところ?
祀る神社 ・・・ 奴奈川神社(新潟県)等
⑥その他のヒメ(妻)
古事記ではそのほかに妻としたヒメ神を系譜で述べています。
多紀理毘売命(たきりびめのみこと)
アマテラスとスサノオの誓約で生まれた宗像三神のうちの1柱。これも想像超える年の差婚。もうこのこと考えるのやめよう。
祀る神社 ・・・ 宗像大社奥津宮(福岡県)
神屋楯比売命(かむやたてひめのみこと)
名前だけの記載で詳細不明
系図にするとこうなります。
ということで、オオクニは多くのヒメ神達の助けを得て国造りを成し遂げたと言ってもよいでしょう。また、180柱の子供の存在は古事記を読んでも確認できません。では、なぜそう言われているのか。
古事記では、オオクニは国譲りの段で建御雷神の問いにこう答えています。
「私のこどもたち、百八十神には八重事代主神が神々の先頭に立ち、神々を統率するのならば、それに背く神はいません。」
確かに180ですが、兄の八十神の八十は80ということでなく「数多い」という意味なので、百八十も「更に数多い」と考えても良いのかなと思います。
でも、日本書紀第八段一書(第六)では、オオクニの別名を述べた最後に「その子は皆で百八十一柱おいでになる。」とあります。えっ!一柱増えちゃった? わからん。