さぁ、いよいよ橿原神宮についてのレポです。前回の大神神社からJR桜井線、近鉄大阪線、近鉄橿原線を乗り継いで橿原神宮前駅で下車です。同駅の改札口にいた駅員さんに道を尋ねると、奈良弁で立て板に水の説明でした。多分、大勢の人が尋ねるんでしょうね。復元は出来ませんが、要は「時計のある道を道なりに行けば鳥居が見えてくる」ということだと解釈しました。
1.場所
ここです。
駅員さんに教えていただいた通りに歩いて行くと、ほどなく見えてきましたよ、あれが鳥居じゃねーか?
ヤッホー!着きましたよ、橿原神宮第一鳥居です。立派です、圧倒されます。鳥居の前にいた警備員さんが親切にパンフレットを渡してくれました。ヨッシャー、ほなら行くでー! いや、ちょっと待て。ここで、このために持ってきたタブレットで、〇〇子さんのブログを見て参拝のポイントをもう一度確認すっぺ。ナニナニ?フムフム、なるほどー。👍
これからの私の記事は不確かなところもありますので、正確な情報はHPで確認して下さい。
2.ご由緒とご祭神
天孫降臨から約180万年後、カムヤマトは葦原中国平定の旅に出ます。いわゆる神武東征ですね。そして多くの困難を克服しながら6年を費やした後、見事に平定を成し遂げ橿原の地に宮殿を造り、初代神武天皇に即位されたのです。時に紀元前660年1月1日(現在の暦では2月11日)のことであります。パパンパンパン! なんか講談風になっちゃいましたね。
明治22年、この偉業を達せられた神武天皇を慕い、地元有志から神社創建の請願が起こりました。そして明治天皇がこれを大変喜ばれて勅命を出され、明治23年(1890年)に橿原神宮が創建されたのでありまーす。神社としては意外と新しいんですね。
ということで、ご祭神は初代神武天皇、そして大物主命の娘である媛蹈韛五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)、古事記では比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)皇后です。
えっ、ちょっと待った。大物主命の娘だって? 大物主命は大国主神の「幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)」だとか言ってなかった?魂なのに娘がいるの?
あっ、それはね日本書紀での話だから、まぁまぁ、細かいことはスルーしましょう。
それより、神武天皇が皇后を選定する時の話、ちょっとアダルトな話なんだけど聞きたい? まぁ、私のブログを18歳未満の方が読んでるとは思えないからいいか!
3.神武天皇の皇后選定
カムヤマトには即位前に既に結婚していて子供もいたのですが、即位後、さらに皇后にふさわしい娘を探していたんですね。そんなとき大久米命(東征に同行し論功を挙げた神)が言いました。
大久米「三島の豪族の娘に、姿かたちが麗しい勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)
という方がいたんですが、この比売を大物主命がすっかり気に入っちゃっ
たんですね。」
神武 「えーっ、また大物主命かよ。それでどうした?」
大久米「その比売が厠で大きな方の用を足すとき、大物主命は赤く塗った矢に化けて
厠の溝へ流れ下り、比売の大事な所を突きました。比売は驚き慌てふため
き、その矢を拾い床に置くと、矢はたちまち麗しき男になったのです。」
神武 「えぇっ、それって変態じゃん。完全に犯罪だろー、それでどうした?」
大久米「結局、二人は結ばれ、二人の間には母親譲りで超美人の比売多多良伊須気余
理比売が産まれました。この美人過ぎる比売を皇后にされてはいかがです
か?」
神武 「ん、するする、早速手配して!」
古事記にはこんな話が書かれているんですね。結局、神武は伊須気余理比売を皇后に迎えることになります。それにしても、大物主命の女性に対してマメなことには驚きましたね。あるときは鍵穴をくぐり、あるときは厠の溝を流れ・・・。これがあの大神神社のご祭神様かと思うと、トホホですね。
あはっ、すっかり横道にそれてしまいました。気を静めて参拝しましょう。
4.参拝
この第一鳥居は、2020年4月の御鎮座130年に向けての境内整備の一環で鳥居の改修が行われ、2019年3月に再設置されたそうです。だから新しいんですね。
参道に入ると空気感が全く違いますね。背筋がピッとなります。あっ、奥の方に第二鳥居が見えますよ。
その前に境内図を見ておきましょう。こんな感じです。よく見えませんね。実物だとよく分かります。とにかく広いんです。約53万㎡、甲子園球場13個分だそうです。
関東だと東京ドーム何個分というとこですね。とにかく広いんです。警備員さんからいただいたパンフを写真に撮ったもので見づらいですよね。雰囲気だけ感じて下さい。
さてさて、参道を進むと第二鳥居なんですが、工事中のため、鳥居の前の神橋を渡ったら迂回して内側に入ります。
そして、見えてきましたよーーー!! 左手に手水舎、右手に南神門です。
手水舎の水がとても綺麗です。
なんか、威厳を感じる堂々とした神門です。爺さん、感激しております。
右端に小さく紀元2679年と写っています。天皇即位がBC660年、ことしは2019年
2019+660=2679 ということです。(そのぐらい知ってるよ! 失礼しましたー)
神門を入ると、ジャジャーン、外拝殿が見えてきます。後ろにチラッと見える山が、畝傍山です。もう言葉が出ません。素晴らしいとしか言いようがないですね。
多くの方が絵馬の前で写真を撮っており、誰もいなくなった一瞬に撮ったものです。
そして門をよく見てみると、猪目がありました。幸せのハート印ですね。
外拝殿から内拝殿を見ます。内拝殿には一般人は入れません。回廊も素晴らしいです
ね。屋根の上に千木が見えますが、幣殿だと思います。
その他、重要な建物がいくつかありますが、代表的なものは文華殿です。織田信長の弟で、茶人としても有名な織田有楽斎の意が汲まれて建築された江戸時代の貴重な武家屋敷の遺構で、重要文化財になっています。ただ、本当に個人的な意見ですが、かつてNHK大河の真田丸で井上順が演じた有楽斎を見たのですが、こんなに裏がある人物だったのかとがっかりしたのを覚えています。
社務所です。逆光でしたね。
実は、宝物館見学の予約をしていたので、宝物館へ向かいました。社務所に連絡すると程なく担当の方がお見えになり、鍵を開けてくださり見学ができました。ここの見学は平日は予約制です。逆に言うと、私一人のために担当の方がお見えになり、見学が終了するまで待っていてくれます。コスパ悪くね? もちろん撮影禁止なので写真はありませんが、個人的には「神武天皇御一代記御絵巻」と「高倉下神剣献上図」が良かったです。でも、展示してあったあの矛と盾は絶対一人じゃ持てんやろ。展示物の詳細はHPで見られます。
境内には皇后陛下(現・上皇后様)の御歌碑や、さざれ石もありました。そうそう、菊花展もやってましたよ。
ここで一度南神門から出て、深田池と長山稲荷社に向かいます。ほんとは池を半周したかったのですが少々疲れを感じ、眺めるだけにしました。稲荷社には観光客もおらずゆっくり参拝できました。
再び南神門から入り、ご朱印をいただきに授与所に向かいます。この際なので、ご朱印帳もあたらしく購入しました。シンプルさがかえって上品ですね。
さて、今度は北神門から出て神武天皇御陵を目指します。南神門と比べるとちょっと地味ですが、それでも立派ですよね。
北の手水舎です。
参道ですが、ほとんど人がいません。途中で畝傍山登山口の案内がありました。もう10歳若かったら行ったんですけどね。
そして北の鳥居です。ここも工事中でした。
さぁ、神武天皇御陵を目指して歩きましょう。
いかがでしたでしょうか。記事を書きながら自分の文才のなさ、語彙のなさを思い知らされています。立派とか、素晴らしいとか、普通の言葉しか出てこず、自身が現地に行って受けた感動をお伝えすることができないんですね。でもね皆さん、一生に一度は伊勢神宮へ行きたい、と言いますよね。私は橿原神宮もそうだと思いました。日本人なら一生に一度は行くべきです。(意見には個人差があります。)
次回は神武天皇御陵でーす! お楽しみに!
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