今回から「古事記の神様と神社・東京編」がスタートします。と言いながら、祀られている神様が古事記には出てこなかったり、神社のある場所が東京ではなかったりする場合もあると思います。その時は軽くスルーして下さい、そのへんは柔軟に行きますよ。
まず、先日、大嘗祭特別ご朱印をいただきに行った浅草神社です。で、後述しますがご祭神は古事記には出て来ません。(_ _)
また、大嘗祭ご朱印ブログと写真が一部重複しますので御了承願います。
目次
1.場所
今更ですが、ここです。超有名な浅草寺の隣ですね。神仏習合の時は同じ境内にあり、明治時代の神仏分離で別れたとのことです。
2.ご由緒とご祭神
時は飛鳥時代、推古天皇36年(628年)のことです。漁師の檜前浜成(ひのくまのはまなり)・ 竹成(たけなり)兄弟が3月18日の朝、隅田川で漁をしていた時に、人の形をした像が網にかかりました。その像を村の名士であった土師中知(はじのなかとも)に見てもらったところ「これは聖観世音菩薩だ。」と答えました。その後、菩薩像を預かった土師中知は自ら出家し、自宅をお寺にしてしまいました。このお寺が今日の浅草寺の始まりなんですね。
時は流れ平安時代末期、土師の末裔の枕元に聖観世音菩薩が現れ、土師、浜成、竹成の三人を浅草寺の傍らに神様として祀るようにお告げがありました。このお告げに従って創建されたのが浅草神社なのです。そして、この三人の神様を三社様というのです。
正確な情報はHPで確認して下さい。
3.浅草神社の社紋
浅草神社の社紋は珍しいですよね。どんな意味があるんでしょうか。下の写真は神輿庫の扉の社紋です。
この神紋は「三網」と言われるそうです。
隅田川で漁師の浜成、竹成兄弟が観音像を発見し、土師に持込んで浅草寺が出来たことから始まり、やがて浅草神社が創建された。三人の神様を表わす三枚の干網が並んでいるのがこの神紋です。中央が土師、右が浜成、左が竹成を表わしていると言われています。言われないと分かりませんが、右の兄が左の弟に比べて微妙に背が高くなっているそうです。
4.参拝
境内はさほど広くはないです。鳥居をくぐり境内中程に行くと狛犬が迎えてくれます。この日は火災予防運動に一役買っているようで、たすき掛けでした。そして左手に手水舎があります。水がきれいです。
そして正面が拝殿です。拝殿前にも狛犬がいます。
社殿は本殿、幣殿、拝殿からなり、幣殿と拝殿が渡り廊下でつながれているいわゆる権現造りと呼ばれる建築様式です。慶安二年(1649年)に建立されたもので、徳川三代将軍家光公からの多額の寄付により建てられたのだそうです。壁には霊獣といわれる麒麟などの絵が描かれています。
拝殿をぐるっと回り込むと幣殿、そして多分、本殿の屋根が見えます。
境内社は被官稲荷社があります。新門辰五郎は有名ですよね。
この狭いところに鳥居が三つ立っています。しかも明神造りと神明造りがあります。
何か意味があるのかも知れませんね。
そして神楽殿と社務所です。社務所は大嘗祭特別ご朱印で混雑していました。
いただいた御朱印です。
境内にはこんなものもありましたよ。夫婦狛犬です。珍しいですね、いいお顔です。
さぁ、いかがでしたでしょうか。浅草と言えば、今や世界的に有名で平日休日を問わず、いついっても混雑しています。しかも私の感覚では8割方が海外の方ですね。仲見世通りは芋洗い状態です。私は浅草へは亀十のどら焼きを買いにたまに行きますが、仲見世通りは余りの混雑に、残念ながら避けてしまいますね。
さぁ、そんなこんなで始まりました「東京編」です。引き続き読んでいただけると爺さんはとてもうれしいです。
では、次回をお楽しみに!
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