のと爺の古事記散歩

古希+1歳になった爺さんが勝手気ままに古事記を散歩します。

古事記の神様と神社・東京編(5)

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 皆さんは「一陽来復」という言葉をご存じでしょうか。これは易経での冬至を表す言葉だそうです。私は何も知らなかったので、ネットで調べたことを以下に述べます。
 易経では、6個の陰陽でその月を表していて、旧暦10月は6個が全て陰になる月で、冬至のある旧暦11月は陽が1個現れ、残り5個が陰となる月である。分かりますか?
私は??? ちょっと何言ってんのか分かんない状態です。
 旧暦11月に陽が1つ現れる事から「一陽」。冬至に太陽の力が最も弱わり、その後に回復していく事から「来復」。これが「一陽来復」ということです。
 要するに、これからは全てのことが良い方向に向かうということで、これを御利益としたのが「穴八幡宮」の「一陽来復御守」で金運アップ、商売繁盛の御守として人気があるんですね。
 詳細は後ほど。ということで、今回訪れたのは新宿区西早稲田にある穴八幡宮です。

 

目次

 

1.場所

 ここです。早稲田通りの馬場下町交差点に面して大鳥居が建っています。

2.ご由緒とご祭神

 社伝によると、康平5年(1062)に創建と伝わる。同年、源義家は父の頼義と共に、前九年の役にて奥州の安倍氏を滅ぼす。奥州からの凱旋の途中、この地に兜と太刀を納め、東北鎮護の社として八幡神を祀ったと云う。
 寛永十三年(1636)、第三代将軍・徳川家光によって、当地周辺(現・高田馬場)に旗本の馬術の訓練や流鏑馬のための馬場・的場が造営。当宮は、その馬場・的場の守護神とされ、高田馬場の守護神とされた当宮は「高田八幡宮」と称された。
 寛永十八年(1641)、社守の庵を造るために、南側の山裾を切り開いたところ横穴を発見。その横穴より金銅の阿弥陀如来像が出現した。へぇ~、こりゃ大変。
社守の庵とは、当宮を管理するいわゆる別当寺の事であり、現在も隣接する「放生会寺」(現・放生寺)を造営する際に横穴が出現した事になる。
 こうして瑞祥のあった神穴がある事から「穴八幡宮」と称されるようになりました。

 ということで、ご祭神は応神天皇仲哀天皇(応神天皇の父)、神功皇后(応神天皇の母)のトリオです。
 第14代仲哀天皇は西国(新羅)を帰服させろという神託に逆らったため、神の呪いで死んでしまいます。その後、神託に従った神功皇后が身重の体で成し遂げたのが三韓征伐と言われる戦いです。そして皇后のお腹にいたのが第15代応神天皇だったという話です。

3.高田馬場の地名由来

 前述のように、第3代将軍・徳川家光によって馬場・的場が造営され、当神社はその馬場・的場の守護神とされた。そして、この一帯は高台だったので高田と言われ、高田にある馬場なので高田馬場と言われるようになった。
 ん~、とても分かりやすいですね。こういうの好きです。

でも、私なんかは高田馬場といえば、堀部安兵衛の仇討ちかなー。しかも阪妻の・・。(そんなん、だれも知らんて、あはっ、失礼しました!)

4.参拝

 では、参拝しましょう。

 横断歩道の先が大鳥居です。これまではそれほど気にしていなかったのですが、鳥居の足元というか、根本というか、たまたま見たら亀の形をしています。へぇ~、めずらしいなぁ~。なんか意味があるのかなぁ~。
 そして、帰宅してから調べて見たら、これは建築用語で亀腹(かめばら)と言うそうです。古い寺社の床下に、湿気から建築物を守るために漆喰の塊が作られており、亀がひっくり返って腹を見せている格好に似ていることから亀腹と言います。このことから、鳥居の柱のもとを支える漆喰の部分も、亀腹と言うそうです。
 当神社ではひっくり返ってはいませんが、亀の形そのままで作られているんですね。

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 大鳥居のすぐ左側に流鏑馬の像がありました。享保13年(1728)、第8代将軍・徳川吉宗が、世嗣(吉宗の嫡子で後の第九代将軍・徳川家重)の疱瘡平癒祈願のため流鏑馬を奉納したのが起源だとあります。暴れん坊将軍も子供には優しい・・・。

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 大鳥居をくぐると階段になり、提灯の下がった仮鳥居のすぐ先に二ノ鳥居があります。そして、なんとも見事な紅葉です。こういうのを燃えるような紅葉と言うんでしょうか。石垣も大きくて素晴らしい。いつ頃のものなんでしょうか。

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 二ノ鳥居の階段を登り切って振り返るとこんな感じです。

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 そして階段の先には隨神門(光寮門)があります。平成10年(1988)の造営だそうです。門を守る武将がいるのですが、誰かモデルがいるのかどうかは分かりません。鮮やかな朱色で装飾も綺麗ですね。

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 隨神門を抜けるとまっすぐに参道があり、ほどなく手水舎があります。背負っている袋から水が出ているのが分かりますか?そして隣に布袋尊像の水鉢が置かれています。これは新宿区の有形文化財(工芸品)に指定されています。

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 そして、いよいよ拝殿です。
昭和20年(1945)、東京大空襲により多くの建物を焼失したが、昭和36年(1961)、御鎮座900年事業として本殿を再建。平成元年(1989)、慶安・元禄の設計絵図に基づいて拝殿など社殿の造営が行われたとのこと。
 荘厳な感じのする拝殿です。内部は撮影禁止でしたが、厳粛な空気感がありました。

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5.境内

 境内にはいろいろありました。まず目を引いたのは拝殿の前にあった巨木です。ご神木というような掲示はなかったのですが、これは絶対、ご神木でしょう。何の木なのかはまったく分かりませんが・・・。

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 そして、あざやかな朱色の鼓楼です。平成27年(2015)の造営だそうです。

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 そして鼓楼の隣にあったのが、なんと神武天皇遥拝所です。ここから遥か南西の奈良の橿原神宮の方向へ遥拝できるということなんですね。角と宝珠を乗せた狛犬と獅子は宝暦5年(1755)造だとか、へぇ~、凄いですねぇ~。(こればっかり)

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 神武天皇遥拝所脇に階段があって、そこを降りていくと玉垣に囲われた出現殿があります。中には入れないのですが、ここが阿弥陀如来像が出現した神穴があった場所であると言われています。社殿は平成18年(2006)に造営されました。

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 ここからさらに階段を降りると、諏訪通りに面した南側の鳥居があります。鳥居となまこ壁が珍しいですね。そして鳥居の根本になにやら怪しげな動物が描かれています。なんなんでしょう、アルマジロ? 残念ながら意味が分かりません。

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6.ご朱印と一陽来復御守

 授与所は拝殿の中にありますので、拝殿に戻りご朱印をいただきました。
そして、一陽来復の御守ですが、毎年冬至から翌年節分までの期間限定で頒布されます。これは江戸元禄年間から始まったとされており、金運アップ、商売繁盛の御守として非常に人気が高く、近くの道路が車両通行止めになったり、1時間待ちの行列は当たり前なんだそうです。
 ただ、ご朱印をいただく際に神職さんに伺ったところ、なくなることはない、つまり並びさえすれば必ずいただけると言うことでした。
私もがんばって並びます! 

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 さぁ、いかがでしたでしょうか。いやぁー、私も初めて行ったのですが、都心にこれだけの歴史ある立派な神社があるとは、全く知りませんでした。紅葉も見事でしたね。
そして一陽来復御守、知ったからには行くしかありませんね。

 では、今回はここまでです。最後までお読みいただき有り難うございました。

 次回をお楽しみに!


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