のと爺の古事記散歩

古希+4歳になってしまった爺さんが勝手気ままに古事記を散歩します。

番外編・泉岳寺

f:id:kojikint70:20191217170256j:plain

 今回は古事記をちょっとだけ離れて、泉岳寺の参拝をお送りします。泉岳寺と言えば赤穂浪士の墓があることで有名ですね。そして、12月14日は吉良邸討ち入りの日で、泉岳寺では義士祭が行われます。当日は大変な人出になるので、ブログ用の写真を撮る余裕はないかなぁと思い、12日に行って来ました。
 なぜ泉岳寺に行ったかと言うとですね、前回の水稲荷神社に堀部武庸(ほりべたけつね 通称・安兵衛)加功遺跡之碑がありましたね。
そこで、堀部安兵衛 → 高田馬場の決闘 → 赤穂浪士 → 泉岳寺 という流れになったんですね。とっても単純な爺さんです。

目次

 

1.場所

 ここです。

2.安兵衛が赤穂浪士の一員となった訳

 そもそも、なんで安兵衛が赤穂浪士の一員になったのでしょうか。これを押さえておきましょう。簡単に言うと、元禄7年(1694)、中山安兵衛が叔父の助太刀で高田馬場の決闘に勝利し、一躍有名になります。これを赤穂藩武士である堀部弥兵衛が聞きつけ、そんなに強くてかっこいい男なら是非とも自分の娘の婿になってもらうべ、と、安兵衛に猛アタックしてマスオさんになってもらいました。これにより中山安兵衛が堀部安兵衛となり、赤穂藩の江戸詰め武士として取立てられたのです。
 そして元禄14年(1694)3月、江戸城松の廊下での刃傷事件が起きます。赤穂藩は取り潰され、以後、安兵衛は急先鋒派の一員として艱難辛苦の末、元禄15年12月吉良邸討ち入りを果たし、主君の仇を討つのでした。チャンチャン。

*詳しくはこちらを見て下さい(ウィキペディア)

ja.wikipedia.org

3.泉岳寺縁起

f:id:kojikint70:20191217181617j:plain

 読むのがとっても大変と思っていたら、HPにそのまま載っていました。

 当萬松山泉岳寺は、慶長17年(1612年)、徳川家康が幼年、身を寄せた今川義元の菩提を弔うため、江戸城に近接する外桜田の地に創建し、門庵宗関和尚(1546年~1621年)を迎えて開山となしました。

www.sengakuji.or.jp

4.参拝

 都営浅草線の泉岳寺駅を出て数分で中門に着きます。天保7年(1836)再建とありますね。古!

f:id:kojikint70:20191217170256j:plain

f:id:kojikint70:20191217194735j:plain

f:id:kojikint70:20191217195024j:plain


 中門を入ると目の前に山門が見えます。山門の手前脇に連判状を手にした大石内蔵助像があります。

f:id:kojikint70:20191217195526j:plain


 山門は当然のことながら歴史観たっぷりですね。中には入れないのが残念です。

f:id:kojikint70:20191217200110j:plain

f:id:kojikint70:20191217200210j:plain

f:id:kojikint70:20191217200324j:plain


 山門脇の入口から境内に入ります。正面に本堂が見えますね。そして、小学生の姿が多く見えます。なにかあるのでしょうか。まず、お参りしましょう。

f:id:kojikint70:20191217200701j:plain

 
 重厚感ある本堂で、背筋が伸びますね。屋根の彫刻が見事です。象と獅子かな?獅子が抱えているのはなんでしょうね。分かりません。

f:id:kojikint70:20191217201618j:plain

f:id:kojikint70:20191217201747j:plain

f:id:kojikint70:20191217201831j:plain

f:id:kojikint70:20191217201933j:plain

f:id:kojikint70:20191217202015j:plain

f:id:kojikint70:20191217202120j:plain


 小学生達が少人数でグループを作り、赤穂浪士の研究発表?をしているんですね。近隣の学校でしょうけど、素晴らしいです。少年少女よ、歴史は面白いぞ!

f:id:kojikint70:20191217202546j:plain

f:id:kojikint70:20191217202637j:plain


 そして、境内の一角に義士の墓があります。墓所入口への通路も大勢の人で混み合ってます。義士祭二日前なのに皆さん熱心です。通路の先に階段があり、墓所入口の門があります。

f:id:kojikint70:20191217203246j:plain

f:id:kojikint70:20191217203454j:plain

f:id:kojikint70:20191217203543j:plain


 門を入るとお線香を購入できます。(任意です)
購入すると係の方がお線香に火をつけて、竹のお皿に乗せてくれます。

f:id:kojikint70:20191217204001j:plain

f:id:kojikint70:20191217204054j:plain

 さぁ、お参りしましょう。浅野内匠頭が最初ですね。そして、手前に奥方の瑤泉院です。煙っているのはお線香の煙です。供養の意を込めて写真を撮らせていただきます。

f:id:kojikint70:20191217204439j:plain

f:id:kojikint70:20191217204602j:plain

f:id:kojikint70:20191217204718j:plain


 義士達のお墓は隣の一角で、配置図があります。討ち入り後に預けられた大名ごとに区分けされています。全員の墓を撮ってもいかがかと思いますので、内蔵之助主税安兵衛にします。あとは、全体的に雰囲気を感じて下さい。

f:id:kojikint70:20191217205145j:plain

f:id:kojikint70:20191217205308j:plain

f:id:kojikint70:20191217205431j:plain

f:id:kojikint70:20191217205510j:plain

f:id:kojikint70:20191217205603j:plain

f:id:kojikint70:20191217205655j:plain

5.戒名に共通の文字の意味

 義士全員の墓石の前に線香を供えていくと、結構なスクワットになり、最後はヘトヘトでした。で、爺さんは気がついたのです。墓石に彫られた戒名で共通な文字が二つあるんです。(寺坂吉右衛門以外ですが)
 それは「」と「」なんですね。なんか意味があるんだろうな、切腹したからかななんて・・・。考えても分かりませんよね。答えは後ほど・・・。

6.境内にはこんなものが

 義士の墓所への通路脇にはHPにあるように義士と関係のある箇所がいくつかあります。ところが、前述の写真をご覧いただくと分かるように、とても混雑していてブログ写真を撮るような状態ではありませんでした。ということで、以下の写真は別の日に出直して撮ったものです。ちょっとおどろおどろしい世界です。


 主税梅

f:id:kojikint70:20191217213258j:plain

f:id:kojikint70:20191217213416j:plain


 瑤池梅

f:id:kojikint70:20191217213548j:plain

f:id:kojikint70:20191217213720j:plain


 血染の梅、石

f:id:kojikint70:20191217213912j:plain

f:id:kojikint70:20191217214016j:plain


 首洗い井戸
 
建立が川上音二郎となってますね。オッペケペー!?

f:id:kojikint70:20191217214137j:plain

f:id:kojikint70:20191217214259j:plain

7.赤穂義士記念館

 せっかくなので赤穂義士記念館へも行きました。撮影禁止なので写真はありませんが武具や大石父子像、書状、陣太鼓などが展示されています。最初に義士のビデオを見られます。で、爺さんがいちばん興味深かったのは「首請取状」なんです。出口近くの、うっかり見落としそうな場所にありました。これってなんだか分かりますか?
 吉良の首は内匠頭の墓前に供えられたあと、どうなったかご存じでしょうか。爺さんは今までそんなことを考えたことも無かったのですが、これを見て「なるほどー!」と思いました。
 寺社奉行から泉岳寺に対し、首を吉良家へ返すように命令があり、泉岳寺の僧が吉良家へ届けたのです。そして、その受取状なんですね。12月16日付で首1ヶ、紙包み1ヶを受け取ったことが書かれていました。うへぇー、なんともはや!

 さきほどの墓石の文字ですが、記念館の受付の方に聞いてみました。そしたら、切腹したからなんて単純な話ではなく、奥が深いんです。
 中国の仏教書に、「氷の上を行き、剣刃(やいば)の上を走る」という表現があり、傑出した人物を表す言い方なんだそうです。つまり、滑り易い氷の上でも歩くことができ、足を切るような剣刃(やいば)の上を歩くこともできる。要は、常識で考えられないことができるということなんですね。スーパーマンや!!
 当時の住職が、「不可能なことを成し遂げた」というところから「」と「」の二文字を戒名に使用したとのことです。これは聞いてみなきゃ分かんないですよねー。

f:id:kojikint70:20191217224507j:plain


 鐘楼がありましたが、塀越しでしか見られませんでした。

f:id:kojikint70:20191217224709j:plain

f:id:kojikint70:20191217224756j:plain

f:id:kojikint70:20191217224846j:plain

8.ご朱印

 社務所でご朱印をいただきました。こちらではご朱印をお願いすると写経を依頼されます。近くに机、椅子、筆ペン、写経用紙(なぞり字が薄く書かれています)が用意されています。何パターンかあったのですが、私は般若心経(ほんの数行ですが)にしました。ほんとは写真を撮りたかったのですが、あまりの下手さに諦めました。

f:id:kojikint70:20191218084428j:plain

f:id:kojikint70:20191218084521j:plain

9.まとめ

 さぁ、いかがでしたでしょうか。最後までお読みいただき有り難うございました。
12月と言えば、日本人はクリスマスなんかより赤穂浪士だと爺さんは思うのですが、最近はテレビでもあまり放送されなくなってしまいましたね。先日、CSの時代劇専門チャンネルでやってたくらいですね。寂しい限りです。
 なぜ300年以上経った現代でも赤穂浪士は人気があるのか、諸説ありますが、私は単純に考えています。勧善懲悪、判官贔屓、弱者が強者に勝つ、これに日本人は拍手を送るのです。炎鵬が大型力士に勝つと大喝采するようなものです。(意見には個人差があります)

次回は、泉岳寺から徒歩圏内にある高輪神社です。お楽しみに!!

 


神話ランキング

にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村

ブログランキングに参加しています。ポチッと押していただけるとうれしいです。

ブックマーク、読者登録いただけたら励みになります。