のと爺の古事記散歩

古希+4歳になってしまった爺さんが勝手気ままに古事記を散歩します。

古事記の神様と神社・東京編(17)

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  前回、前々回と東京十社の赤坂氷川神社、日枝神社をお送りしましたが、今回は神田神社のお話しです。あっ、そもそも、どの神社が十社なのかはHPをご覧下さい。

 私は、1年半ほど前にこの十社を某カルチャーセンターの神社巡りで訪れています。ただ、その頃は神社巡りの初心者でブログもまだ始めていない時でしたので、行っただけで終わってしまっていました。
 今回、たまたま日枝神社に行ったことがきっかけになり、あらためてこの十社を巡ってみようと思った次第です。ただ、連続して行けるかどうかは分かりませんので、その点だけご了承下さい。
 尚、芝大神宮は先日行ってますので、よろしければご覧下さい。

目次 

 

1.場所

 ここです。

2.御由緒と御祭神

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 社伝によると、当社は天平2年(730)に出雲氏族で大己貴命の子孫・真神田臣(まかんだおみ)により武蔵国豊島郡芝崎村―現在の東京都千代田区大手町・将門塚周辺)に創建されました。
 その後、天慶の乱で活躍された平将門公を葬った墳墓(将門塚)周辺で天変地異が頻発し、それが将門公の御神威として人々を恐れさせたため、時宗の遊行僧・真教上人が手厚く御霊をお慰めして、さらに延慶2年(1309)当社に奉祀いたしました。戦国時代になると、太田道灌や北条氏綱といった名立たる武将によって手厚く崇敬されました。
慶長5年(1600)、天下分け目の関ヶ原の戦いが起こると、当社では徳川家康公が合戦に臨む際、戦勝のご祈祷を行ないました。すると、9月15日、神田祭の日に見事に勝利し天下統一を果たされました。これ以降、徳川将軍家より縁起の良い祭礼として絶やすことなく執り行うよう命ぜられました。
  江戸幕府が開かれると、当社は幕府の尊崇する神社となり、元和2年(1616)に江戸城の表鬼門守護の場所にあたる現在の地に遷座し、幕府により社殿が造営されました。以後、江戸時代を通じて「江戸総鎮守」として、幕府をはじめ江戸庶民にいたるまで篤い崇敬をお受けになられました。
(以上、HPより)

 前々回、日枝神社が江戸城の裏鬼門守護の場所であるという話をしましたが、神田神社は表鬼門守護の場所にあります。表鬼門は北東、裏鬼門は南西方向です。

 御祭神は 大己貴命少彦名命平将門命です。

www.kandamyoujin.or.jp

3.大己貴命(古事記では大穴牟遅神、後の大国主神)について

 分かりやすく、ここではオオクニで統一します。オオクニは本が一冊書けるほど謎の多い神様です。爺さんが一番興味があるのは「出雲の大神なのに、出雲風土記に全く出てこないのは何故?」という点なのですが、ここでそんな話をしても読者の皆さんが興味をもたれるかどうか分かりませんので、次の機会にします。

 では何の話か?「オオクニの子供は180人(柱)いたってホント?」という話です。
古事記ではオオクニの系譜が書かれており、〇〇を娶って生んだ子が△△神、この神が◎◎を娶って生んだ神が▲▲・・・というように子孫の名前が多く出て来ます。そこで妻子を図にするとこうなります。

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 これで見ると妻子とも各6人です。ではなぜ子供が180人といわれているのか?

 国譲りの段で、オオクニはアマテラスの使者である建御雷神にこう言います。「私は二人の子供(事代主神と建御名方神)が申すことに従い葦原中国は献上いたします。ただ、私の住まいは天の住居のように高天原に千木を高くそびえさせお祀りくださればこの出雲に隠れ留まります。また、私の子供たち百八十(ももやそ)の神は、事代主神が神々を統率するならば、それに背く神はいません。」

 この百八十の神を単純に「180人の神」と解釈するかどうかという話です。オオクニの兄を八十神といいますが、これは80人という意味ではなく、「大勢」の兄神と解釈されています。ということは、「百」が付いていますので「もっともっと大勢」ということになるのでしょうか。具体的な人数を言っているのではない、ということですね。
 ただ、「オオクニには180人もの子供がいたんだって!」とした方がインパクトがあることは確かですよねー!!

4.参拝

 国道に面した鳥居から入り、参道の先に随神門が見えます。随神門の左脇に手水舎があります。

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 この随神門は昭和天皇ご即位50年の記念事業で再建されました。外側、内側とも見事な彫刻が施されています。内側にはオオクニの神話をモチーフにしたと思われるものが見られます。
 これは因幡の白兎ですね。

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 これは、スサノオからの試練で野火に囲まれた時、ネズミに助けられた様子のようです。

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 さて、正面が拝殿ですね。この拝殿の特徴は鉄筋コンクリート造りということです。
関東大震災や戦災で木造社殿を焼失した過去を踏まえ、昭和9年に現社殿が完成したとのことです。
 社殿前には狛犬がいますが、まっすぐ前を見ている狛犬も珍しいですね。台座には昭和8年の日付があります。

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5.境内社

 広い境内に多くの境内社があります。

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 水神社

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 八雲神社(小舟町)

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 八雲神社(大伝馬町)

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 江戸神社

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 浦安稲荷神社

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 三宿稲荷神社・金刀比羅神社

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 末廣稲荷神社

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 籠祖神社

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6.境内にその他いろいろ

 色々ありすぎて全部をお知らせするのは止めておきます。関心のある方はHPでどうぞ。代表的なものをいくつか。


 だいこく様尊像

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 神馬 
 これ、本物の馬です。初めて見るとびっくりしますよ。

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 石獅子

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 銭形平次の碑
 野村胡堂作の平次親分は神田明神下に住んでいました。見づらいですが、台石が寛永通宝になっています。右側の小さい方が子分の八五郎です。

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 絵馬とおみくじ

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 男坂
 神社が意外と高台にあることが分かります。

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 文化交流館 
 お札や御守の授与所、ご朱印の受付の他にカフェや売店があり、お土産や神社グッズなどを売っています。
 思わず買ってしまったものがあります。それは神社声援(ジンジャーエール)です。生姜の味がちょっと濃いめで美味しかったです。

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7.少彦名命ご尊像

 境内の隅の方なのでうっかりすると見過ごしてしまいそうですが、少彦名命のオブジェがあります。ここでは「えびす様」の表示があります。以前にヒルコがえびす様だという説をお話ししましたが、少彦名命だという説もあります。

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8.ご朱印

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9.まとめ

 さぁ、いかがでしたでしょうか。最後までお読みいただき、有り難うございます。
神田神社もEテレで紹介されていましたが、そのとき出られた宮司さんが「神社は観光地だ」とおっしゃっていたのが印象的でした。確かに文化交流館などは他の神社にはないし、アニメなどとのコラボも積極的に行っているとのことでした。そのせいでしょうか、境内には他の神社に比べて若い参拝者が多かったように思いました。

 爺さんでもゆっくり参拝し、カフェなどで休みながら半日は過ごせますね。また行ってみたいと思ってます。

 では今回はここまでです。次回をお楽しみに!!

 


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