のと爺の古事記散歩

古希+1歳になった爺さんが勝手気ままに古事記を散歩します。

超入門古事記(26)ヤマトタケル~悲劇のヒーロー物語

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 さてさて、皆さん、ヤマトタケルご存じでしょうか。サトウタケルなら知ってる!という方は多いと思います。今をときめくイケメン俳優ですからね。でも、ヤマトタケルも負けず劣らずイケメン(会ったことないので、多分ですが・・・)の悲劇のヒーローなんです。
 今回から、多分、3~4回にわたってヤマトタケルの大冒険をお送りします。最期は白鳥になるという、なんとも日本人好みの終わり方になります。乞うご期待!

目次

 

1.ヤマトタケルの系譜

 古事記では「倭建命(やまとたけるのみこと)」と書きます。そして、第12代景行天の段に登場します。ここで、系譜を見てみましょう。

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 第12代景行天皇の皇子で、第14代仲哀天皇の父なのですが、ヤマトタケル本人は天皇になっていません。なぜなんでしょうか、やがて分かってきますよ!

2.小碓命の驚愕的性格

 景行天皇には大碓命(おおうすのみこと)と小碓命(おうすのみこと・後の倭建命)という兄弟皇子がいました。
 天皇とオオウスの仲はあまりうまくいっていなくて、オオウスは朝夕の宮中行事に真面目に参加しませんでした。そこで、天皇は弟のオウスに、兄を教え諭すように命じます。しかし、それでもオオウスは行事に出て来ません。

天皇「お前の兄はいまだに出てこんではないか、まだ、教え諭しとらんのか?」
オウ「いや、もう言い聞かせましたよ!」
天皇「どない言うたんや?」
オウ「明け方に兄が厠に入った時、待ち構えてつかみ潰して、手足を引き裂いて、袋に
  包んで投げ捨てましたでー。」

 この話を聞いて天皇は驚愕します。
「ゲーェ、マジかよ、オウスのこの荒々しく残忍な性格はどこから来ているんか?これでは、いつ私自身が狙われるかも知れん。どないすべか。」

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3.熊曽征伐に派遣

 オウスの性格を恐れた景行天皇は、オウスを自分の身近から遠ざけることを考えました。そして、熊曽征伐を命じたのです。

「西の方に熊曽建(くまそたける)が二人いるんじゃ。こいつらは朝廷に背くやつらじゃけ、征伐してこいやー!」

*熊曽は地名で、西の辺境を意味し、建は勇猛な人の意。

 オウスはこの時、まだ、その髪を額の上で結う少年(15~16歳)の髪型をしていました。天皇の本心を知るよしもないオウスは、叔母の倭比売命から衣装を賜り、短刀を懐に収めて、勇んで出発したのでした。これが悲しい旅の始まりとは・・・。

4.今回のポイント

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①小碓命は景行天皇の皇子で、皇位継承の資格を持ちながら天皇にはなれなかった。
 
天皇になれなかった理由は明白です。景行天皇より先に亡くなってしまったからなんです。詳しい話は次回以降で。

②15~16歳ぐらいでありながら、小碓命は兄を惨殺してしまうほど残虐な性格だった。
 
これは古事記を読んでみないと分からないことです。日本書紀には兄惨殺のことは書かれていません。

③熊曽征伐は天皇が自分の身に危険を感じたからだった。
 
危険な息子を自分から遠ざけたかった、というのが本音だったんですね。

5.まとめ

 さぁ、いかがでしたでしょうか。最後までお読みいただき、有り難うございます。

いよいよ次回からヤマトタケルの悲しき大冒険が始まります。

 でも、今回だけ読んでもヤマトタケルのイメージが変わりませんか? えっ、そんなヤツだったの?ってね。

 次回をお楽しみに!!

 


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