のと爺の古事記散歩

古希+4歳になってしまった爺さんが勝手気ままに古事記を散歩します。

古事記の神様と神社・ご近所編Part2(4)~守谷総鎮守 八坂神社

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 全国的に被害の出ている大雨が続いています。被災された皆様には、心からお見舞い申し上げます。コロナであったり、水害であったり、今年はほんとに大変な年になりましたね。先日は柏神社でアマビエに疫病退散をお願いしてきましたが、今回は茨城県守谷市にある守谷総鎮守八坂神社に諸難除けのお願いに行ってきました。

 

目次

 

1.場所

 ここです。私が住む柏市と神社のある守谷市は、利根川を挟んで隣接しています。

2.御由緒と御祭神

 社務所でいただいたチラシによると、大同元年(806年)に守谷町本宿に神主吉信によって素戔嗚尊(すさのおのみこと)を奉祀したのが始まりと言われています。スサノオは別名を午頭天王(ごずてんのう)とも呼ばれていたことから、古くは天王様とも呼ばれ多くの人々に親しまれていたが、明治初年に現在の八坂神社に社号が変更されました。いわゆる鎮守様として地元だけでなく、多くの人々に親しまれて来ました。

 スサノオと言えば八岐大蛇退治の話が有名ですね。人々の難儀を救ったことから災厄を祓う神として全国の神社に祀られるようになり、守谷でも人々の疫病、諸難除けの神としてお祀りされました。

www.yasakajinja.or.jp

3.参拝

 県道でしょうか、小さな交差点に面して一の鳥居があり、すぐ後ろにピタッとくっつくように二の鳥居があります。二の鳥居は袖柱がある両部鳥居と言われるもので、この型式で有名なのは厳島神社の大鳥居ですね。厳島神社の御祭神である宗像三女神はスサノオの娘ですから、なにか関係がありそうです。

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 鳥居を入ると真正面が拝殿ですが、手前に手水舎があります。その左側では、神職さんが、取り外した茅の輪のお焚きあげをされていました。

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 拝殿脇には樹齢数百年と言われているご神木です。

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 そして、拝殿です。

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 拝殿の後ろに本殿です。

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 本殿裏に境内社がありましたが、刻まれた文字が読めません。

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 境内には力石がありました。

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 ご神木の根元に百度石もあります。

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 そうそう、一の鳥居脇の大銀杏もかなりの樹齢と思われます。

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4.ご朱印

 社務所で、三種類あるご朱印の内、八岐大蛇退治の図をいただきました。これ、凄いでしょ!書き置きじゃないんです。持参したご朱印帳に見開きで書き入れてもらえるんです。推測ですが、いくつかのパーツのゴム印(?)を押して全体の構成を整えているんじゃないでしょうか。社務所の奥で作業されていたので目前では見ていません。

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5.スサノオだって疫病退散の神

 疫病退散と聞くとアマビエですが、実はスサノオもそうなんですね。「蘇民将来」という伝説が全国的にあります。しかし、この話は古事記には出て来ません。そして、諸説あるようなので私の知っている話をしますね。

 

 乱暴狼藉の罪で高天原を追放になったスサノオは、過酷な旅を強いられました。

「腹減ったなぁ-、なんか喰いてー! おや、随分立派な家があるぞ、ここでなんか食い物をもらうべ!」

「かくかくしかじか、なんとかお助けをーー。」

 すると、家主で金持ちの巨旦将来(こたんしょうらい)は嘘をついて断ります。
「うちは貧乏やから無理ーーー。」

 仕方なく、スサノオはまたトボトボと歩いて行くと、今度は見るからに貧しい家を見つけます。

「かくかくしかじか、なんとかお助けをーー。」
 すると、家主で貧乏な蘇民将来(そみんしょうらい)は言いました。

「ええでーっ、好きなだけおりゃいいさ。メシは夕べの残りもんやけど、ええか?」

 こうして一宿一飯の恩を受け、翌朝、スサノオは蘇民将来にお礼を言って旅を続けます。

 そして、数年後、スサノオは再び蘇民将来の家を訪ねました。

「わしはスサノオじゃ。その節は世話になったのぉー、サンキューベロマッチョ!」

 さらに、茅の輪を渡してこう言ったのです。
「あんたの子孫に言いなはれ。わしは蘇民将来の子孫じゃと口にして、この茅の輪を身につけておれば疫病を逃れることができるでー!」

 こうしてその後、蘇民将来の子孫は疫病から逃れることができたのです。

 めでたしめでたし!!

 

 いまでも茅の輪くぐりの習慣があるし、蘇民将来子孫と書かれたお札もありますね。

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6.まとめ

 さぁ、いかがでしたでしょうか。最後までお読みいただき、有り難うございます。

爺さんの家から車で30分、こんな近くにこんな素晴らしい鎮守様があったんですねー。
感動もんですよねー。

 前回のアマビエと今回のスサノオに疫病退散をお願いしました。

 一日でも早い終息をおねがいしまーーーす!!

 


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