今日(9月1日)は久しぶりに過ごしやすい気温になりましたね。曇り空ではありますが、外に行きたくてうずうずしていた爺さんは、さっそく飛び出しましたよ。行先は埼玉県久喜市にある、関東最古の大社と言われている鷲宮神社(わしのみやじんじゃ)です。
ここは本殿が二つあるとても珍しい神社で、一度は行ってみたいと常々思っていたのです。そしたら、とにかく、行ってみっぺ!!
1.場所
ここです。
2.御由緒と御祭神
神代の昔、天穂日命と御子神の武夷鳥命が東国を経営するため、お供の昌彦・昌武の父子と出雲族27人の部族と共に当地に到着し、地元の部族と共に当地の鎮守として大己貴命を祀ったのに始まると伝える。これが、現在の別宮である神崎神社であった。その後、日本武尊が東国平定の際に当地を訪れて戦勝祈願を行い、別宮を建てて天穂日命と武夷鳥命を祀ったという。この別宮が現在の本殿である鷲宮神社とされる。(ウィキペディアより)
神代に神社があった? ちょっと、なに言ってんのか分かんない・・・。でも、境内の地から縄文時代の遺跡などが発見されたということなので、いきなり社殿を建てたとは思えませんが、なんらかの催事場みたいのがあったのかも知れませんね。
詳しくはHPをご覧ください。
ところで、天穂日命という神様は、古事記ではどんな場面に登場するでしょうか。古事記では「天菩比神(あめのほひのかみ)」と言います。アマテラスの次男で国譲りの使者として出雲に派遣されたのですが、オオクニに媚びへつらい、三年たっても報告に戻らなかった神様なんですね。で、いろいろあって、その子孫が出雲大社の宮司さんになったという話なんですが、とても長くなるので割愛します。
武夷鳥命は、古事記では「建比良鳥命(たけひらとりのみこと)」と言い、アメノホヒの子供で、出雲国造等の祖神だと書かれています。
大己貴命は大国主神のことだとは、もう、みなさんご存じですよね。
3.参拝
神社に向かって埼玉県道410号線を行くと、一の社号碑が見えます。
この社号碑はいつごろのものか、裏の日付を見てむむ?? 昭和十三年四月建立だと思うのですが、昭和の「和」の字が反転してるぞ!? 何か意味があるんかのぉー?
さて、神社入口には二の社号碑があります。ここでもむむ? 鳥居はどこ?
ウィキペディアによれば、ここには明治30年(1897年)建立の木製の大鳥居があったのですが、平成30年(2018年)に老朽化のため倒壊してしまったとのこと。ひぇー、それは残念。再建はしないんかのぉ~。ちなみに、こんな感じだったらしいです。
社号碑手前には歴史ありそうな店舗がありましたが、お休みでした。
参道に入ると早速、狛犬が迎えてくれます。なかなか個性的な狛犬です。台座には細かい文字が刻まれていたのですが、日付は確認できませんでした。でも、古そう!
あとでネットで調べたら嘉永5年(1852年)造だそうです。
参道を進むと青銅製の金灯篭があります。文政十二年(1829年)建立です。足元というか、基礎部分には鶏の彫り物があります。なにやら細かい文字が・・・。老眼の年寄りにはむーりー、読めませーん。でも、凄!
狛犬といい、金灯籠といい、当時の石工さん、鋳工さんの腕は素晴らしい!!
さらに進むと左手前に光天之池があります。龍神さんがお住まいだとか・・・。
4.拝殿
参道の先に拝殿があります。進行方向に正対していなくて、進行の右向きです。
あっ、その手前に手水舎です。
華美なところがなく、荘厳な感じの拝殿です。
5.本殿
御由緒に書かれているように拝殿裏に二棟の本殿があります。左側がアメノホヒとタケヒラトリがオオクニを祀った神崎神社本殿、右側がヤマトタケルがアメノホヒとタケヒラトリを祀った鷲宮神社本殿です。これらの本殿は安政4年(1857年)に造営されたそうです。
この板塀の隙間から中を撮ったのがこれです。神崎神社の前に狛犬がいますね。
ぐるっと後ろに回ることができます。左が拝殿、中央が鷲宮、右が神崎です。
左が鷲宮、右が神崎です。
6.境内社
境内と、それをとりまく森の中に多くの境内社があります。
〇 境内
姫宮神社
八坂神社、神輿庫
〇 森の中
鹿島神社、稲荷神社
7.その他、境内には
神楽殿
力石
大樹、絵馬、みくじ
8.ご朱印
9.まとめ
さぁ、いかがでしたでしょうか。最後までお読みいただき、有り難うございます。
関東最古といわれる歴史ある神社でした。合祀神を含めると、これだけ大勢の神様が祀られている神社は、なかなかお目にかかれませんね。社殿も華美でなく、シックな趣が一層の厳粛さを表わしているように思えました。
大鳥居の早期復元を期待します。
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