参道が日本一長い神社をご存じでしょうか。ここ、武蔵一宮の氷川神社(ひかわじんじゃ)は、一の鳥居から境内入口の三の鳥居まで約2kmあります。とにかく、南北に一直線のながぁ~~い参道があるんです。もちろん、参拝は三の鳥居から入ってお参りすることで十分(ナビで設定すると三の鳥居あたりになります)なのですが、せっかくなので、この長い参道を一の鳥居から歩いてみっぺ!と無謀にも思い立った爺さんは、秋にしては比較的暖かい天気に誘われて出かけてしまったのです。いつものぼっちドライブですが・・・。
1.場所
ここです。
2.御由緒と御祭神
当社のHPによると、今からおよそ二千有余年前の第五代孝昭天皇の御代の創立と伝えられています。第十二代景行天皇の御代では日本武尊が参拝し、東征の成功を祈願しました。聖武天皇の御代では武蔵一宮に定められたとあります。武家時代になっても鎌倉、足利、北条、徳川とあいついで尊仰してきました。明治時代では、明治天皇が都を東京に還され、当社を武蔵国の鎮守勅祭の社と定めています。
氷川神社は東京、埼玉、神奈川等に280社ほどありますが、当社から分祀されたものです。
氷川神社と言えば御祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)ですが、さらに稲田姫命(いなだひめのみこと、古事記では櫛名田比売)、大己貴命(おおなむじのみこと)を祀っています。この三柱の神様の関係はお分かりでしょうか。
当社のHPはこちらです。
3.三柱の御祭神の関係
スサノオは八岐大蛇を退治したことにより、イナダヒメと結婚します。つまり、この二柱は夫婦ですね。では、大己貴命(オオナムジ:後の大国主神)はどうでしょうか。ここが、日本書紀と古事記では大きく違います。
日本書紀では、オオナムジはスサノオとイナダヒメの子供
古事記では、オオナムジはスサノオの六代孫、つまり六代後の子孫
子供と子孫ではエライ違いですよね。どうしてこんなにも違うのでしょうか、という面倒な話は機会があったらということで、今回はスルーします。
八岐大蛇の話はこうです。
4.参道
さて、いよいよ一の鳥居から行きまっせ!
一の鳥居からの三の鳥居までの距離感はこんな感じです。
ここが一の鳥居です。ここからほぼ一直線の参道で、まずは二の鳥居を目指しましょう。
参道です。ん~、二の鳥居は全く見えまへんでーーー。
約半分を過ぎて、ようやく赤い物が・・・あれが二の鳥居だんべか?
二の鳥居から三の鳥居を目指します。紅葉がだんだん鮮やかになってきますね。
三の鳥居に着きました。一の鳥居から約30分ですね。いい運動です、ふーっ!
5.参拝
さて、境内はこんな感じです。まずは、拝殿を目指しましょう。
三の鳥居からまっすぐ進むと神池にかかる赤い神橋があります。そのすぐ先が楼門ですね。左手前に手水舎があります。
6.拝殿
楼門を入るとすぐ前には舞殿があり、その先が拝殿になります。楼門、舞殿、拝殿が縦列に並んでいるのはとても珍しいですね。拝殿前には、多分、七五三で参拝者が多くなるためのテントが張られていました。拝殿裏に本殿の屋根が見えます。
7.摂末社
境内には多くの摂末社があります。
〇松尾神社
〇天津神社
〇六社
〇門客人神社
〇御嶽神社
〇稲荷神社
〇宗像神社
〇天満神社 一の鳥居から二の鳥居に向かう参道脇にあります。
8.その他、境内には
〇神楽殿
〇額殿
〇さざれ石
〇戦艦武蔵の碑
〇夫婦楠
〇蛇の池
分かりづらいですが、中央奥に水が湧き出ている場所があります。
9.ご朱印
授与所で新しくご朱印帳をいただきました。
10.まとめ
さぁ、いかがでしたでしょうか。最後までお読みいただき、有り難うございます。
武蔵一宮であるだけに、格式の感じられる神社でした。拝殿も華美なところはなく、逆にそれが格調を高めているように思えました。それにしても、ながーい参道を歩いてみて、やや疲れるものの、気分はスッキリクッキリしました。途中に小休止できるスペースができていたり、参道脇にはこじゃれたカフェなんかあったりして、ご近所さんの格好の散歩コースになっているんじゃないでしょうか。
紅葉を眺めながらの参道歩き、なんか素敵ですね。羨ましい限りです。
もし、当神社へ参拝の機会がありましたら、是非、一の鳥居から歩いてみて下さい。
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