昨年10月に東国三社(鹿島神宮、息栖神社、香取神宮)巡りをしました。その際に、鹿島神宮入口の大鳥居は二の鳥居で、実は東西南北に一の鳥居があり、それらを結んだ区域内は神域であるという話をしました。
多分、今回の記事を読まれた皆さんは、「この爺さん、よっぽど暇なんやなぁ~。」と思われることと推察します。そうなんです、金はないけど暇はたっぷりあるんです。南の一の鳥居は息栖神社で昨年行っていますので、今回は東西北の一の鳥居と、これまたマニアックな跡宮を訪れました。
1.鹿島神宮について
まず、前回の記事を貼ります。結構、リキを入れて書きましたので、今回は同じようなことは書かないようにしました。前回記事を一読いただけると嬉しいです。
当社のHPはこちらです。
前回の記事です。
今回訪れて分かったのは、現在、「令和の大改修」が行われていることです。今年の二月に奥宮から始まり、幣殿・拝殿、楼門と続き、完成は令和八年四月の予定だそうです。これは大事業ですね。
前回と異なった所をお伝えしますね。
まず、楼門をくぐって境内に入ると茅の輪が設置されていました。そうか、六月ですからね、もう半年が終わってしまいますね。コロナ、コロナであっという間でした。
上記の通り、奥宮は工事中でした。
拝殿、本殿、ご神木は外せませんね。
2.一の鳥居巡り
まず、それぞれの一の鳥居の位置関係はこうです。
実際には西⇒跡宮⇒鹿島神宮⇒東⇒北と廻りましたが、記事は一の鳥居三ケ所、跡宮の順で書いていきます。
3.西の一の鳥居
北浦湖畔に立っています。その昔、参拝者は舟で水上に立つ鳥居をくぐり接岸し参拝したと言われています。高さは18.5メートルあり、厳島神社の大鳥居より高く水上鳥居としては日本最大級です。
『大船津の一之鳥居は、鹿島神宮に通じる東西南北の四ケ所に設けられた一之鳥居の一つで、西の一之鳥居に当たります。鎌倉時代、鹿嶋の土地隆起により御手洗池近くまで入っていた船の往来ができなくなり、船着き場となった大船津に僧侶の忍性が鳥居を建てたのが最初とされています。
1618年に徳川二代将軍秀忠が社殿と合わせて奉納した鳥居は水上鳥居で、当時はまさに鹿嶋の玄関口でした。
現在の鳥居は2013年6月に再建されたもので、水底からの高さが18.5メートル、幅が22.5メートルもあり、水上の鳥居としては厳島神社の高さ16メートルを超える国内最大級の大きさです。』
4.東の一の鳥居
東日本大震災の後、鳥居の背後の堤防が高くなり景色が変わってしまったらしいのですが、堤防に上ると太平洋が綺麗に見えました。それにしても、西の鳥居に比べると質素な造りですね。鹿島神宮の御祭神のタケミカヅチが上陸した場所と言われています。
レイラインという言葉をご存じだと思います。この東の一の鳥居は、鹿島神宮⇒皇居⇒明治神宮⇒寒川神社⇒伊勢神宮⇒高千穂神社と続くレイラインのスタートの地と言われています。(諸説有り)
「東の一之鳥居は太平洋に面した明石の浜です。この浜は、タケミカヅチが出雲国でオオクニヌシと国譲りの話し合いを終えた後、東国に入り上陸された神聖な場所と伝えられています。」
5.北の一の鳥居
荒井行方線から車一台しか通れないような細い道を入っていくと、朱色の鳥居が見えてきます。他の三カ所の一の鳥居と比べるとあまり知られていないようで、森の中にひっそり立っている感じですね。昔は、水戸方面からの参拝者はこの鳥居をくぐってきたそうです。現在の鳥居は平成29年に再建されたものです。
鳥居の先に戸隠神社の社殿があります。
「鳥居が建立されている周辺は神戸(ごうど)地区と言われ、文字通り鹿島神宮への玄関口の意味でその地名が残っている。」と書かれています。
6.神野(かの)の跡宮
鹿島神宮の摂社で、タケミカヅチの荒魂を祀っています。西の一の鳥居との位置関係はこうなっています。後になってHPを見ると確かに書いてはありますが、なかなかここまでいらっしゃる参拝者は少ないと思います。爺さんも先日、テレビをボーッと見ていたらこの跡宮を紹介しているのを見て、初めて知った次第です。
タケミカヅチが初めて天降った地とされ、また、奈良春日への御分霊の際、ここから鹿島立ちされたとの伝えがあります。神聖な場所ですね。今では、周囲はごく普通の住宅地です。
物忌という役目があったことも初めて知りました。
7.鹿島立ちの語源
タケミカヅチは、奈良の春日大社の祭神として勧請され、神護景雲元年(767年)に鹿島から鹿に乗って出立し、翌、768年に三笠山に至ったと言われています。この故事に由来して、旅に出ることを「鹿島立ち」と言います。(諸説有り)
鹿もタケミカヅチと共に奈良に鹿島立ちしたんですね。そう、奈良公園の鹿の先祖は鹿島の鹿なんです。そういえば、茨城訛りの鹿がいるとか、いないとか・・・。
8.ご朱印
9.まとめ
さぁ、いかがでしたでしょうか。最後までお読みいただき、有り難うございます。
いつかは行きたいと思っていた鹿島神宮一の鳥居巡りですが、梅雨の晴れ間を狙って行って来ました。どこもそれぞれの個性があって、爺さんは結構満足して帰って来ましたよ。それにしても、鹿島神宮の創始は神武天皇即位の紀元前660年と言われていますから、それを考えただけでも凄いことですよねー。
余計なことですが、ナビも凄いですよ。どこでも連れて行ってくれる。コードを入れればピンポイントで案内してくれます。ナビちゃん、これからもよろしくね!
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