突然ですが、江戸城を築城したのは誰でしょうか? そんなの知ってっぺよ、家康だんべや! いや、確か太田道灌だったんじゃねぇかぁー? んだ、家康の命令で道灌が造ったんだんべよ。てなふうに、情報が錯綜して結局は誤った認識の方はいらっしゃいませんか? 実は、恥ずかしながら、70を過ぎた爺さん(私です)がこれに近かったんですね。今回、東京都千代田区にある平河天満宮(ひらかわてんまんぐう)を訪れるにあたりいろいろ調べてその誤りに気づかされたのです。じゃじゃーん!今頃かよ!
1.場所
ここです。
2.御由緒と御祭神
室町後期の享徳(きょうとく)3年(1455年)、鎌倉公方と関東管領上杉氏の間で内戦の享徳の乱が起きます。そのため、上杉氏の家老であった太田道灌は房総の千葉氏を抑えるため、武蔵国豊島郡江戸(現在の千代田区千代田)に江戸城を築きます。これが康正(こうしょう)3年(1457年)のことです。
そして、文明10年(1478年)、城内の北に江戸の守護神として天満宮を建立したのが当社の始まりです。この場所は今では梅林坂と呼ばれています。それに、道灌濠と名づけられた堀がありますね。
天正18年(1590年)、家康が入城後は当社は平川門外に奉還され、慶長12年(1607年)秀忠の命令で現在地に遷座しました。家康が入城した当時は荒れ放題の城で、周囲も原野状態だったのですが、入城直後から改修を始め、関ヶ原後は本格的な城や城下町の建設に当たっていったのです。当社も徳川幕府や紀州、尾張、井伊の祈願所となって行きました。ちなみに、紀尾井町という町名はこの三家の名前が由来です。
天満宮ですから、御祭神は菅原道真ですね。古事記の神様ではありませんが神社巡りでは欠かせない天神様ですのでご容赦下さい。
(ウィキペディアより)
当社のHPはこちらです。
3.参拝
東京メトロ半蔵門線の半蔵門駅から商業ビルなどが並ぶ通りを2~3分歩くと、大きな看板が目に入ってきます。いやいや、これって結構インパクトあるよ。
階段を少し上がった所に社号碑と高さ5mの銅鳥居があります。支柱には天保15年(1844年)12月の日付があります。千代田区の指定文化財です。
丸い傷跡がついていますが、これが機銃掃射の跡でしょうか。
支柱の足元には獅子がいます。
鳥居をくぐると、それほど長くない参道です。そして、参道には五体の牛像(撫で牛や石牛)があります。そして拝殿手前左に手水舎です。
4.天満宮にはなぜ牛像があるのか
なにをいまさらの話かも知れません。天満宮、天神様にはなぜ牛像があるのでしょうか? 牛は神(道真)の使いと言われますが、道真と牛ってどんな関係?
道真と牛の関係では、丑年生まれ、牛をかわいがっていた、丑の日に亡くなったなどいろいろなエピソードがあるようですが、有名なのが①ですね。でも、②も面白いですね。
① 道真はあまりにも出来杉くんだったため周囲にはそれを妬む者がおり、昌泰4年(901年)政略により太宰府に左遷され、失意のなか延喜3年(903年)に亡くなってしまいます。
道真の遺骸を乗せた車は牛に引かれて運び出されていったのですが、牛はある場所で突然足を止めその場に座り込んでしまいます。牛は全く動かないため、道真の弟子達は
道真公はここでゆっくり休みたいのだと考え、その場所を墓地と定めたのです。その場所こそ安楽寺で、今では太宰府天満宮となっているのです。
② 道真が京から太宰府へ向かう道中で刺客に襲われたとき、どこからともなく現れた牛が刺客を倒し道真の命を救ったのです。実はこの牛は道真が子牛の頃から可愛がっていた牛で、京を立つ直前に行方不明になっていたのです。主人を守るため密かに後を着いてきたのでしょうか。もちろん、道真はこの牛を太宰府へ連れて行きました。
5.拝殿
拝殿前にはこれまた指定文化財の貫禄たっぷりの狛犬です。ん?どっちも阿形?
6.本殿
拝殿脇から本殿に回ることができます。とってもシンプルな本殿ですね。
7.境内社
〇三殿宮
大鳥神社(日本武尊)
塩神社(豊斟渟神 とよくむのかみ)
浅間神社(木花開耶姫命)
豊斟渟神は、古事記では豊雲野神(とよくもののかみ)といいますが、多分、どなたもご存じないと思います。それ誰やねん?
天地初発のとき、最初に成った神は天之御中主神を筆頭に別天神(ことあまつかみ)といわれる五柱の神です。そのあと成ったのが国之常立神(くにのとこたちのかみ)と豊雲野神なんですね。「雲に覆われた豊かな大地の神」なんだそうですが、なぜ三殿宮に祀られているかは分かりません。
〇平河稲荷神社
8.その他境内
常夜灯
百度石
力石/筆塚
〇神楽殿
〇縁結びの梅
〇絵馬
9.ご朱印
「限定」という単語に引かれいただいてきたのですが、あれっ、これ稲荷神社のご朱印でした。天満宮のご朱印は次回に・・・。梅形のおせんべいをいただきました。これ食べていいのかな?
10.まとめ
さぁ、いかがでしたでしょうか。最後までお読みいただき、有り難うございます。
都心の神社に江戸時代の文化財がこんなに多く残っていることに驚きましたね。戦災にもあったということですが、地元の皆さんのご尽力が素晴らしいと思いました。
それにしても、江戸城、太田道灌、家康の関係がこの歳になってよく分かりました。これも天神様のお導きでしょうか。
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