のと爺の古事記散歩

古希+4歳になってしまった爺さんが勝手気ままに古事記を散歩します。

古事記の神様と神社・ご近所編Part3(34)~結城諏訪神社~万事必勝じゃーっ!

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 皆さんは、神社参拝の時にご利益を気にしますか?私はほとんど気にせずに参拝をしています。そんななか、新年を迎えたので新たな気持で神社巡りをしていこうと思いながら参考文献(実は市販のご朱印本 ヘ(∧∧;ゞ )を見ていたら、「万事必勝の神」をお祀りする神社を発見しました。茨城県結城市にある結城諏訪神社(ゆうきすわじんじゃ」です。こりゃ縁起がよかんべ、行ってみっか!

 

 

1.場所

 ここです。

2.御由緒と御祭神

 神社でいただいたパンフにはこうあります。

 諏訪神社の創建は天慶三年(940年)にさかのぼります。当時、新皇を名乗り関東独立の乱を起こした平将門に対して、藤原秀郷に将門を討つべしとの宣旨が下りました。そこで将門打倒の戦勝祈願のために、信濃諏訪大社より諏訪大明神を当地へ勧請したことに始まります。秀郷はここに陣を張り、敵地の方角に向けて鏑矢を放ち戦勝を願いました。同年二月の戦で将門は討ち死にし、乱は鎮圧されました。反乱鎮圧の功績により下総、下野両国の守護となった秀郷は諏訪大明神に戦勝を謝して鏑矢を奉納し、社殿を建築しました。

 ということで、主祭神諏訪大明神こと、建御名方神(たけみなかたのかみ)、そして副祭神として事代主神(ことしろぬしのかみ)が祀られています。

 この二柱の神様は大国主命の子供で、古事記では国譲りの段に登場します。タケミナカタは、現在では万事必勝の神として信仰され、コトシロノヌシはエビス様として親しまれていますよね。

 当社のHPはこちらです。

 

過去記事もご覧下さい。

3.藤原秀郷とは?

 みなさんは藤原秀郷をご存じでしたでしょうか。平安時代長中頃に活躍した武将で、将門鎮圧で一気に有名となり東国武将の祖ともいわれています。いろいろ調べて見ると各地に子孫がいるとのことで、奥州藤原氏や、忠臣蔵大石内蔵助も子孫の一人だとか。
 ここでは細かい話は省略しますが、興味のある方は調べて見ると面白いかも知れませんね。

 では、参拝しましょう。

4.参拝

 次の写真をご覧下さい。駐車場へは県道側から入るのですが、そこは社殿の真横になります。道路が後からできて結果的にこうなったのでしょうが、ちょっとばかり違和感がありますね。で、西へまっすぐ行った農道に面して鳥居があります。

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 これが農道に面した鳥居です。そこからまっすぐのやや長い参道になります。

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そして、参道の先に拝殿があります。拝殿右に手水舎です。

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5.拝殿

建築年は不明ですが、それほど古くはないと思われます。

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6.本殿

 室町時代に建てられたようです。もう少し細かい説明があったらいいのにね。

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本殿脇には両部鳥居があります。ちょっと不自然な場所にあるのはなぜ?

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7.境内社

拝殿手前参道脇に木々が茂り、境内社が点在しています。

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8.その他境内

〇勝負岩 将門との戦いで、秀郷を守った岩とか。触れるとパワーが乗り移る!?

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〇神楽殿 当社の大々神楽は県指定の無形民俗文化財

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社務所

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〇県道側の入口

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9.ご朱印

 勝利の色である金色の印が中央に押されています。

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10.まとめ

 さぁ、いかがでしたでしょうか。最後までお読みいただき、有り難うございます。

 令和4年は何社参拝できるか分かりませんが、少しずつでも記事にしていきたいと思いますので、よろしくお願いします。

 当社の祀るタケミナカタは、古事記によれば国譲り交渉のなかで、タケミカヅチに追われて諏訪に逃げていった、つまり戦いに敗れた神様なのですが、諏訪大社を始めとして勝利の神として祀る神社が多いですね。なぜでしょうか。古書の解釈には、それだけ諸説あるということでしょうね。

 


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