平治の乱が終わり源氏方が敗北、頼朝は伊豆へ流刑となります。そして、20年後の治承4年(1180年)に挙兵するのですが、じゃぁ、この20年間はどのように暮らしていたのでしょうか、考えたことありますか? 私はこのテーマを書く前までは考えたことありませんでした。20年というと、オギャーと生まれた子が成人(今は18?)するわけですから長いですよね。私も暇なもんで、夜も寝ないで昼寝して、そんなことばかり考えてます。
平治の乱以降、京では大きな事件がいくつか起きますが、ここでは二つの事件について簡単に触れておきます。(ホントに簡単やないけぇー!m(__)m)
1.鹿ケ谷陰謀事件
安元3年(1177年)、俊寛の別荘である鹿ケ谷荘(現・京都市内)で後白河法皇と院近臣よる平家打倒の陰謀が企てられました。この陰謀は密告によりすぐに発覚し、近臣は殺され、上皇は処罰は免れたが影響力は衰えていきました。そして俊寛、藤原成経、平康頼は薩摩国鬼界ケ島(現在の硫黄島といわれている)に流されます。翌年、成経、康頼は赦免されますが、俊寛は許されることなく悲劇の一生を37歳で終えます。
2.治承三年の政変
治承3年(1179年)、清盛と後白河院と間の軋轢などから、数千の兵を率いた清盛が福原から京に入りクーデターを起こします。後白河院は鳥羽殿に幽閉、院近臣らは逮捕され所領は没収されてしまいます。この政変はとっても複雑で、俄か勉強では説明できません。(;´д`)トホホ
ちなみに、後白河院の第三皇子以仁王も同様に所領を没収されています。
3.頼朝は20年間何してたの?
上述のように京では大事件が続き、以仁王令旨に繋がっていくのですが、その前に、京での事件をよそに、流人頼朝は何をやってたのでしょうか。
流人というと皆さんはどんな生活をイメージしますか?狭くて暗い牢に閉じ込められ粗食しか食べられず、酒なんかもってのほか。
ところが、頼朝は全く違ったのです。痩せても枯れても源氏の嫡男ですから、坂東の人間とは違って清和天皇の血を引く貴種の人間なんですね。伊豆の大豪族である伊東祐親は、罪人預かりと監視役を命じられた時、どう思ったのでしょうか。
えっ、マジすか! 頼朝が来るって!? 衣食住を用意しなきゃなんめぇ~。めんどくせー!
そう、伊東からは出られないなどある程度の制限はあったにしろ、衣食住の心配はなく、行動も比較的自由だったのです。伊東の娘と仲良くなって子供まで作っちゃうんですから、これ以上の自由はないでしょ!
結局、ヒマな頼朝がやることといえば、一族の菩提を弔う読経ぐらいで、あとは限られた環境下で女性を追っかけて源氏の血を残すことだった? しかしながら、男子が生まれたらその子はどんな運命になるかぐらいは分かっていたでしょうにね。何の罪もない子供が可哀そう過ぎます。
祐親にしてみれば、大番役から帰ってきたら娘が頼朝の子を産んでいた、しかも男。
こんなことが平家に知れたら、伊東家自体がどんな処罰を受けるか分かったもんじゃない。「子供は殺せ、娘は祐親の配下に嫁がせろ、頼朝も見つけて殺せ!」 となる。
4.頼朝の流刑地は伊東?蛭ケ小島?
実は、流刑地は伊東ではなく、蛭ケ小島だという話があります。伊豆の国市の観光ガイドを見てみると頼朝が20年過ごした所だと書かれています。
しかし、前述の伊東の娘と仲良くなって子供作っちゃった事件を考えると、伊東にいたのも事実でしょう。そうでなきゃ祐親が怒り狂う訳がありません。地図を見てみると、蛭ケ小島は伊東より北条の本拠地に近いですね。
ん~、どう考えたらいいのか、頼朝以上に暇人である爺さんはいろいろ参考文献を読んでみました。そして、なるほど~、これかなという説を見つけました!まさかやー!
平治元年(1159年)祐親の所領伊東に配流
安元元年(1175年)京から戻った祐親に子供つくちゃった事件ばれる
伊東から北条所領の蛭ケ小島に移動する
治承4年(1180年)挙兵
つまり、扱いに困った祐親は娘婿でもある北条時政に頼朝を預けたということです。
「時政よ、頼朝を殺したくとも殺せない、お前のとこで預かってくれや!」
いくら怒り狂っても、平家の流人を勝手に殺すことはできないでしょうし、かといって顔も見たくない。つまり、最初の15年を伊東で、残りの5年を蛭ケ小島で暮らしたという説です。では、なぜ北条は頼朝を預かったか、詳しくは後にアップするどこかの記事で書きますが、大河では愛之助さん演じる宗時が言ってましたよ。(個人的には半沢直樹のオネエ官僚が好きです)
「平家を倒し坂東武者の世を作り、そのてっぺんに北条が立つ。」
これだと思います。頼朝は、平家を倒し北条の世を作る名目に利用されたんです。
恐るべし北条!
5.まとめ
さぁ、いかがでしたでしょうか。最後までお読みいただき、有難うございます。
今回の記事には多分に私の独断と偏見が入っていますのでご了承ください。
いよいよ、京と坂東に分かれていた源平がそれぞれの思惑で動き出しますよ、次回は以仁王の令旨と頼朝挙兵の話です。ちむどんどんするさー、うさぴょんぴょん!
参考文献
一冊でわかる鎌倉時代 大石学 河出書房新社
考証 鎌倉殿をめぐる人びと 坂井孝一 NHK出版新書
読む年表 日本の歴史 渡部昇一 WAC文庫
源氏の血脈 野口実 講談社学術文庫
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