のと爺の古事記散歩

古希+4歳になってしまった爺さんが勝手気ままに古事記を散歩します。

古事記の神様と神社・ご近所編Part3(74)~荏原神社~寒緋桜が奇麗です

 神社巡り、ご朱印収集をされていらっしゃる皆様は、参拝する神社をどうやって決めていらっしゃいますか?私の場合は、参考文献(要するに市販の案内本)やネット検索が主ですが、もう一つ大事にしているのが読者登録をさせてもらってる方々のブログです。拝読し自分も行ってみたいと思ったところは出かけています。
 今回訪れたのもあるブロガーさんの記事を見て、私もぜひ寒緋桜を見てみたいと思ったからです。すぐ近くの品川神社には参拝歴がありますが、こちらは初めての参拝です。品川区北品川にある荏原神社(えばらじんじゃ)です。

 

 

1.場所

 ここです。

2.ご由緒とご祭神

  元明天皇の御代、和銅二年(709年)、奈良元官幣大社丹生川上神社より高龗神(龍神)を勧請し、長元二年(1029年)に神明宮、宝治元年(1247年)に京都八坂神社より牛頭天王を勧請、古より品川の龍神さまとして源氏、徳川、上杉等、多くの武家の信仰を受け、今に至る。(当社パンフより)
 ご祭神は高龗神(たかおかみのかみ)をメインに、アマテラスやスサノオなど、メジャーな神様が多数。「祈願すれば叶わぬことはない」と言われる由縁でしょうか。

 高龗神という神様には諸説あるようで、古事記でのイザナギカグツチを斬ったときに飛び散った血から成った闇龗(くらおかみ)のことだとか、貴船神社の御祭神である高龗は闇龗のことだと伝わっているとか、カビの生えた爺さんの脳みそでは説明できませんのでこのへんでやめます。爺さんは、要するに、荒ぶる火の神カグツチから生まれた荒ぶる火を鎮める水の神というふうに考えています。

当社HPはこちらです。

3.参拝

 京急本線新馬場駅北口を出て山手通りを横断し、目黒川沿いの小道を数分進むと何やらピンク色の花とその下の人混みが見えてきました。


▼人混みをいったんやり過ごして、目黒川にかかる赤い橋(鎮守橋)あたりから振り返ると大鳥居です。社号碑は若干離れているので鳥居と一緒に撮るアングルが難しい。


▼早速、寒緋桜が迎えてくれます。いやぁ~、奇麗ですね。皆さん、首が痛くなるほどに見上げ、熱心に撮影していました。それにしても皆さん、とても立派なカメラをお持ちで、コンパクトカメラは爺さんだけかも・・・。


▼桜の木の下には恵比寿様と手水舎です。恵比寿様は平成5年(1993年)奉納、手水舎の紀元2600年とは、昭和15年(1940年)です。


▼社殿は透塀に囲まれています。

4.社殿

▼社殿前の狛犬です。左右とも2頭の子取りですね。明治29年(1896年)奉納です。


▼社殿は弘化元年(1844年)造営のものが震災や戦火を逃れ現存しているなんて、涙がちょちょぎれます。しかも、とにかく彫刻が素晴らしい。当時の技術の高さには感服します。


▼そして、うっかり見逃しそうなのが拝殿屋根から下を見下ろす二頭の龍です。こんなのは初めて見ました。ありがたや!

5.境内社

 透塀の外に三社があります。

6.その他境内

明治天皇御東幸内侍所奉安所の碑
 明治天皇が当社に行幸された際に当社を内侍所(ないしどころ)とされたそうです。内侍所とは皇居賢所に該当し、神鏡を奉安する場所です。そりゃ凄い!


〇神楽殿


社務所


社務所前に一頭だけの狛犬が。


〇常夜燈
 多分、天保の文字が。

7.ご朱印

8.まとめ

 さぁ、いかがでしたでしょうか。最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 いやぁ~、寒緋桜、奇麗でしたね~。もうこの歳になると悲しいかな花を愛でる気持ちが薄れてくるのですが、久々に感激しました。
 それにしても、江戸時代の社殿が現存している、しかも彫刻が半端ない、なんてすばらしいんでしょう。黒船来航が1853年ですから、それより約10年前です。想像もつかない時間が経過して、今、眼前にある。ん~っ、凄い!

 

 


神話ランキング

にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村

ブログランキングに参加しています。ポチッと押していただけるとうれしいです。

ブックマーク、読者登録いただけたら励みになります。