のと爺の古事記散歩

古希+4歳になってしまった爺さんが勝手気ままに古事記を散歩します。

古事記の神様と神社・東京編(13)

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 小網神社から徒歩10分弱で水天宮に着きます。水天宮と言えば安産の神様として有名ですよね。安産には無縁な爺さんがなにしに行ったん? いやいや、そんなこと言わずに、小網神社と同じく日本橋七福神巡りの一社として行って来ました。上の写真は水天宮前交差点です。写っていませんが、水天宮の反対側角には人形焼で有名な「重盛」があります。帰りのおみやげに買っちゃいましたー!!(糖分取り過ぎに注意!)

目次

 

1.場所

ここです。

2.御由緒と御祭神

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 御由緒、御祭神(天之御中主神、第81代安徳天皇、平時子、平徳子)を理解するためには、ちょっとばかり面倒な話をしなければなりません。ご存じの方は飛ばしちゃって下さい。

水天とは何か
 もともとはインドの古い神ヴァルナが、仏教では十二天(護法善神)のうちの一人で
西方を守護する水の神「水天と解されています。
   
水天宮自体の始まりと御祭神(平家トリオ)
 安徳天皇の母である高倉平中宮徳子に仕えていた女官、按察使局伊勢(あぜちのつぼねいせ)は寿永4年(1185年)3月、壇ノ浦の戦いの後、千歳川(現筑後川)の辺り鷺野ヶ原(さぎのがはら)に遁れて来て、建久初年(1190)この地に安徳天皇、母・徳子、祖母・時子を祀った。これが水天宮の始まりと言われています。そして、在位のまま入水した安徳天皇は水天皇と呼ばれたことから、水天と同一視されたのです。
 伊勢は後に剃髪して名を千代と改めます。周辺の民に請われ加持祈祷などを行っていたところ、霊験あらたかであったため、尊崇するものが日増しに多くなり、尼御前と称えられ、当初、水天宮は尼御前神社と呼ばれていました。
 慶安3年(1650年)、久留米藩第2代藩主有馬忠頼によって現在地に社殿が整えられ遷座したのが久留米水天宮です。 その後も歴代藩主により崇敬されたが、特に第9代藩主頼徳は、文政元年(1818年)に久留米藩江戸屋敷に分霊を勧請し、その後明治4年(1871年)に現在の東京水天宮にご遷座されました。
 御祭神は安徳天皇高倉平中宮・建礼門院・徳子二位の尼・時子となります。

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③なぜ、安産、子育ての神といわれるのか
 日本に伝わった水天は、神仏習合時代に「水」の字のつながりで、天之水分神(あめのみくまりのかみ)、国之水分神(くにのみくまりのかみ)と習合します。そして、「みくまり」が「御子守・みこもり」に通じると言うので、水天は安産、子育て、子供の守り神として信仰されるようになります。(洒落かい!? ちょっと苦しいね。)
 *イザナギ、イザナミの神生みで、水の門口の神として生まれたのが速秋津日子神と
  速秋津比売神。この二柱から生まれた神が天之水分神国之水分神です。古事記に
  のみ書かれている神です。

④天之御中主神が御祭神になったわけ 
 神仏分離となり、明治政府は考えたんです。「水天はもともと、インドのヴァルナ。そしてヴァルナは最高神、始原神である。日本ではどうだ?」「日本神話における始原神は天之御中主神でごわす!」「んだなぁ~、そんじゃ、水天を祀る水天宮の祭神は天之御中主神で決まりでよか!」と、まぁこんな具合で明治時代に決まったそうですが、諸説あるようです。

 

 ちょっと話が長くなりましたね。その他、HPもご覧下さい。

www.suitengu.or.jp


 では、参拝しましょう。

3.参拝

 入口が二つあります。

 水天宮通りからはこうです。

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 ここをやり過ごして角を左折するとこちらからも入れます。こっちが正門かも。

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 平成28年(2016年)に大改装が行われ、全体を免震構造のビルとし、2階に社殿を始めとした神社が作られたとのことです。階段を上がると境内です。大鳥居とジャンボ狛犬がジャーン!! 鳥居が大きすぎてカメラに収まりませーん。

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 すぐ左手に手水舎があります。

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 社殿です。鈴緒が5本あり、それぞれ音色が違うらしいのですが、爺さんには全部鳴らす勇気がありませんでした。

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 社殿前の灯籠が立派ですね。ちょっと分かりづらいですが、根元には龍の彫り物があります。こんな所にもお賽銭が入れられています。

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 社殿から振り返るとこんな感じです。これで鳥居と狛犬の大きさがお分かりいただけますか?右下が手水舎です。

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4.境内

 境内にはいろいろあります。まず、安産子育河童です。よく見ると左肩、左胸、右足に子供がしがみついています。

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 宝生辨財天(ほうしょうべんざいてん)です。毎月5日と巳の日には扉が開き、ご神像が拝観できます。この日は残念ながら見られませんでした。

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 子宝いぬです。みんな頭を撫でていくので、ピカピカです。

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 末社です。左から秋葉神社、火風神社、高尾神社とありました。

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5.ご朱印

 社務所や授与所は社殿に向かって右側のビルの中にあります。中は撮影禁止とは掲示されていないのですが、撮っちゃダメ空気がただよっていたのでやめました。ご朱印は書き込みと書き置きの二種類がありましたが、折角なので書き込みをお願いしたら巫女さんが目の前でスラスラと書いてくれました。凄!

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6.まとめ

 さぁ、いかがでしたでしょうか。最後までお読みいただき、有り難うございます。
安産の神様として信仰され、特に戌の日には妊婦さんなどの大勢の参拝者が訪れる神社ですが、その背景には壇ノ浦の平家滅亡の悲しい歴史があったんですね。

 では今回はここまでです。次回はどこか、まだ決まってません。お楽しみに!


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