熊曽建兄弟、出雲建を討ち果たして意気揚々と大和に帰ってきたタケルでした。だが、景行天皇はタケルの帰還を歓迎したわけではなかったのです。
「ええーっ、もう帰って来たんかい!こりゃまじーなー、どうすっぺ?このまま大和に居座られても、こまっちゃうなぁ~♪」と、山本リンダになり考えたのです。そうか、東国へ行かせればええんじゃ!
そして、「東方十二道(ひがしのかたとおあまりふたみち・東海地方を中心とした諸国)の荒ぶる神、及び従わない者どもを説得して平定しなはれやー!」と命じました。
1.景行天皇の東征命令
少しは褒めて貰えるかなと思っていたら、さにあらず。景行天皇から命じられたのは東国の平定だったのです。マジすか!?帰って来たばっかりなのに、やってらんねえよとは思うものの天皇には逆らえず、やむなく旅支度をするタケルでした。天皇からは、邪気を払う力を持っていると言われている比比羅木(ひひらぎ)の八尋矛(やひろほこ)を賜りました。
2.東征ルート概略
①⇒② 大和から伊勢へ
②⇒③ 伊勢から尾張へ
③⇒④ 尾張から相模へ
3.大和から伊勢へ
東征に出立する前に、タケルは再び伊勢の倭比売命に会いに行き、愚痴ります。
「かくかくしかじかで東国へ行くんやけど、西国から戻ったばかりなのに、ゆっくりせいとも言わず、すぐさま東国へ行けとは。天皇は私など死んでもかまわんと思ってるんじゃないかのー😭。」
出立する時、倭比売命はタケルに草薙剣を渡し、さらに「困ったことがあったらこの袋を開けるんやでー。」と言って御袋を渡したのです。
ん?草薙剣? なんで倭比売命が持ってたの?
ちょっと思い出してくださいね。三種の神器は天孫降臨の際に、アマテラスからニニギに渡されました。その後どうなったのか、実は古事記には書かれていません。日本書紀の記述から推測すると、多分、こうだと思います。
神武天皇以降、歴代天皇は三種の神器をひたすら守って来たのだと思います。しかし、そのプレッシャーたるや「半端ねぇー!」ものだったのです。
第10代崇神天皇は、アマテラスの象徴である八咫鏡と同居しながら祀るという強力なプレッシャーに耐えきれず、アマテラスを祀る場所探しを娘の豊鍬入姫命(トヨスキイリビメノミコト)に託し、大和の笠縫邑(かさぬいむら)に祀ったのです。この地が奈良県桜井市の檜原神社と言われています。
ここで33年奉斎したのですが、永遠に神事を行うことができる地を求めてさらに巡行を続けることになります。そして第11代垂仁天皇の御代になり、娘の倭比売命(ヤマトヒメノミコト)が宇陀、近江、美濃などの巡行を担い、笠縫邑から通算すると26番目に伊勢国に着いたのです。通算所要年数90年だとか。いやいや、ご苦労様でした。
そして、伊勢に来るまでに仮住まいをした所は今でも元伊勢と言われています。元伊勢は東海、近畿を中心に25ヶ所あります。
ということで、八咫鏡と一緒に草薙剣も各地を巡り、伊勢の倭比売命の手元にあったのではないでしょうか。
4.伊勢から尾張へ
さて、尾張国について、タケルは国造の祖先である美夜受比売(みやずひめ)の家に入りました。すぐに結婚しようと思ったのですが、帰りに寄った時にすっぺ、と婚約だけして東国へ出立したのです。
この記述がよく分かりませんね。文脈からすると、美夜受比売のことを知っていて比売の家へ急ぎ行き、あわよくば結婚するべ、と思っていたように思えます。古事記にはこの経緯については何も書かれていません。
タケルは山河の荒ぶる神、そして従わない者たちをことごとく説得して平定していったのです。
尚、美夜受比売は東征の後半で重要な役割を担うことになります。
5.尾張から相模へ
タケルが相模国に着いたとき、国造が偽って「この野の中に大沼があり、この沼の中に住む神は大変荒々しい神なんです。」と申し上げたのです。そう言われたタケルは、そんじゃ見に行くべや、と軽々しく乗ってしまったのですね。
タケルが野に入ると国造は火を放ったのです。
「ゲゲーッ、欺したなー!!」
自分ではこれまで敵を散々欺してきたくせに、よく言うよ!!(と、陰の声)
こりゃヤベ!と思ったタケルが倭比売命から貰った袋を開けてみると、中に火打石が入っていました。そこで、まず剣で草を刈り払い、火打石で火を起こして向い火をつけて焼き退け、野中から脱出したのです。
そして、欺し打ちを仕掛けた国造たちをすべて斬り殺して、すぐさま遺体に火をつけて焼いてしまったのです。それで、今、その地を「焼津」と言うんですね。
ん?焼津は静岡県だろ、と言うことは相模ではなく駿河の間違いか?? それにしてもタケルの敵を壊滅する度合いは相変わらずですね。
6.今回のポイント
①景行天皇はヤマトタケルの西国征伐完遂を喜ばなかった。
そもそも西国へ行かせた理由が、自分から遠ざけることでしたから、予想外に早く片付けちゃったのでびっくりポンだったわけですね。
②美夜受比売は「尾張の国造の祖先」
美夜受比売は「尾張の国造の祖先」と書かれているのですが詳細は不明です。ただ、後半に重要な役割を担うことになります。
③草薙剣のいわれが?
古事記を読むまでは、「相模の国造に欺かれて火に囲まれた時、倭比売命から授かった剣を使って周囲の草を刈り払ったことから、その剣を草薙剣という。」というふうに考えていましたが、実はこの剣は八岐大蛇の尻尾から出て来た時、すでに「草那芸之大刀」と書かれています。
7.まとめ
さぁ、いかがでしたでしょうか。最後までお読みいただき、有り難うございます。
天皇に反感を持ちながらも東征に出立したタケルですが、各地を平定しながらヒメ様を追いかけることも忘れていないようです。
まだ東征は始まったばかり、これからどんなことが待ち構えているやら・・・。
次回をお楽しみに!!
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