のと爺の古事記散歩

古希になった爺さんが勝手気ままに古事記を散歩します。

古事記の神様と神社(5)

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 建御雷神と鹿島神宮

 これまで何度か話に出て来ましたが、いよいよエースの登場です。古事記では建御雷神、日本書紀では武甕槌神(以下、タケミカヅチ)と表記されます。この神様はとても大事な場面で登場し、見事にその役割を果たします。
 まず、アマテラスの意向をくんで、オオクニとの国譲りの最後の刺客として出雲に降り、国譲りを成し遂げます。その際のオオクニの息子の建御名方神(たけみなかたのかみ)との力比べは大相撲の起源と言われてますね。「タケミカヅチがその御手を取らせたところ、たちまち手を氷柱に変え、また、剣の刃に変えた。」 えぇーっ!、手が剣の刃に変わった?すげぇー、まるでターミネーターだ!!(この話、分かります?)
 さらに、神武天皇が東征の途中の熊野で危機を迎えたとき、アマテラスからの救援指示に対し、自分の神剣を高天原から下して窮地を救っています。神武天皇はこれに感謝して即位年に鹿島神宮を創建したと言われています。即位年ということは紀元前660年ということになるが? まぁ、あくまでも言い伝えだから、細かいことは良しとしましょう。
 でも、なぜ鹿島だったのでしょうか。実は神武東征のころは極東と言うと大体このあたりだったんですね。ヤマトタケルの東征も同じように常陸国が北限と言われていますね。で、それより北は未だ大和朝廷に帰順していない、いわゆる蝦夷の地だったのです。そこで、蝦夷を見張り、またその侵攻を防ぎ、場合によってはこちらから攻め入る基地となる場所が鹿島だったということです。そのため祀られる神も最強でなければならず、最強の武神と言われたタケミカヅチになったということです。鹿島神宮の本殿が通常と異なり北を向いているのも睨みをきかすためなんですね。

 鹿島神宮は物部氏、中臣氏が氏神として崇拝しており、大和に藤原氏の氏社として春日大社が創建されたときにタケミカヅチの神霊が鹿島神宮から勧請されています。なんとこの時、タケミカヅチは鹿に乗って春日大社に向かったという伝説があります。鹿島神宮には鹿園がありますね。なるほど、鹿は神の使いと言われる由縁ですね。でも、鹿島から大和までいったい何日、いや何年かかったのでしょうか。そして、今、奈良公園にいる鹿の先祖は鹿島神宮の鹿だということになります。しかとそうか?(スミマセン、ダジャレです) ちょっと見づらいですがそれを表わす図(掛け軸?)です。 

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 ハイ、今回の話はいかがでしたか? では今回はここまで。次回をお楽しみに!!
 
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