のと爺の古事記散歩

古希+4歳になってしまった爺さんが勝手気ままに古事記を散歩します。

青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光

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阿弥陀経

今回は古事記の話ではありません

 前回で「古事記の神様と神社」シリーズを完了としました。それから、次のテーマを何にしようか考えているところですが、まだ決まっていません。実は、テーマもそうなんですが、もっと多くの方に読んでいただけるようなブログを書くには何が必要なんだろうということも考えています。
 確かに、多くの方が読者登録をされていらっしゃるブログを拝見すると、記事内容はもちろんですが、ビジュアル面でも写真や地図などを効果的に使われ、出来映えが素晴らしいですね。私にはちょっと無理だなぁ~。

 そんなこんなで、ちょっとモヤモヤしていた昨日、亡妻の盂蘭盆会合同法要が行われました。そして法要の最後にご住職の説話があり、その中で出たのが「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」(しょうしきしょうこう おうしきおうこう しゃくしきしゃっこう びゃくしきびゃっこう)という話でした。
 

 以下、ご住職のお話の概要です。
 この言葉は阿弥陀仏の浄土に咲く蓮の花のありさまを語ったものです。この「青き色には青き光、黄なる色には黄なる光、赤き色には赤き光、白き色には白き光あり。」という言葉は、私たち一人ひとりが、それぞれの色を持ち、光り輝いていることを語っており、それが私たちの本来の姿でもあり、生きる喜びの姿であると言っていいでしょう。それはまた、どのような他とも対立することのないものの姿でもあります。

 私たちは、みな必死になって他の人よりも勝れたものを手に入れようと苦労しています。しかし、私たちは誰もみな、例外なしに、できることとできないことを持っています。そして、他の人よりも勝れたものと言ってみても比較の問題に過ぎません。結局のところ、光り輝くことはできないことになってしまいます。

 このような他の人と比較する心から解放されることがない限り、私たちは、本来の輝きを取り戻すことができません。そのためには、すべてのものは、もともとつながり合って、共に生きるものであることに目覚めることが、最も大切なことです。だから、この阿弥陀仏の浄土に咲く蓮の花のありさまを語った「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」という言葉は、お互いに傷つけ合うのではなく、助け合って生きることだけが、自分らしく光り輝いて生きることを実現する道なのだと教えているのです。
つまり、人は生まれながらに持った光で輝くべきだ。生まれ持った自分の才能を開花させなさい。ということになります。
 この教えから作られたのが、槇原敬之が作曲し、SMAPが歌った名曲「世界に一つだけの花」です。『No.1にならなくてもいい もともと特別なOnly one』というメインフレーズ。これは阿弥陀仏の教えが強く反映されていると言えます。

 

 このような話を聞いてきました。そして、深く反省をしているところです。わたしゃまだまだ修行が足らん! 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・。
花屋の店先にな~らんだ~♪