のと爺の古事記散歩

古希+4歳になってしまった爺さんが勝手気ままに古事記を散歩します。

古事記の神様と神社(10)

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神武天皇と橿原神宮

 さぁ、このシリーズも最終回です。満を持して登場するのはカムヤマトイワレビコノミコト、後の初代天皇となる神武天皇です。ちなみにご存じと思いますが、「神武」とは崩御後につけられた諡号(しごう、おくり名)であって、即位してすぐに神武天皇と名乗った訳ではありません。現天皇も令和天皇ではなく、あくまでも今上天皇です。

 1.血統
 アマテラスから見ると何代目になるでしょうか。

 アマテラス → オシホミミノミコト → ニニギ → ホオリ → カムヤマト となるので5代目ですね。正真正銘、アマテラスの直系なので申し分ありません。サメの血が? いやいや、それは言わない、言わない。

 
 2.東征
 
さて、カムヤマトイワレビコノミコトといえば、最大の功績は何と言っても東征(後に神武東征といわれます)ですね。実はこの東征について、日本書紀と古事記では内容が少し違うのです。ただ、日本書紀の方がより具体的に書いてあります。
 日本書紀では、出発した際には45歳で、例の180万年発言があり、その後の艱難辛苦(ここでは内容を書きませんが八咫烏や金鵄(きんし)などに助けられてますね。)を乗り越えてついには橿原宮にて即位する、そして「東征から6年経った」と発言します。また、127歳で崩御したとあります。
 一方、古事記では45歳とか、180万年とかはまったく書いてありません。そして、東征の途中で数カ所の滞在年数が書いてあります。筑紫で1年、安岐で7年、吉備で8年、これだけで16年ですから日本書紀で言うような6年ではないのです。そして崩御は137歳です。
 東征ルートを見てみましょう。こんな感じですよ。車なんかない時代に、制圧の戦いをしながら6年で回れますかねぇ?

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  3.橿原神宮

  神武天皇をお祀りしているのが、奈良県にある橿原神宮ですね。実は、初めて知ったのですが、橿原神宮には神武東征について細かい解説をつけた「神武天皇御一代記御絵巻」という宝物があるんですね。いやぁ~、見てみたいですねぇ~。絶対見ます!
これがその一部です。皆さん、ご覧になったことあります?

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4.即位年
 神武天皇の即位年は紀元前660年と言われています。でもね、西暦が日本で採用されたのは明治になってからですよね。なんで紀元前なんてわかるの?
 ということで、以前、まとめたものがありますので、是非、お目通し下さい。

 

kojikint70.hatenablog.com

 

 

kojikint70.hatenablog.com

 
5.八紘一宇(はちこういちう)
 
この言葉をご存じでしょうか。これは神武天皇が即位された時に言われた言葉だと日本書紀に書かれています。簡単に言うと「全世界を一つの家にする。つまり、皆仲良くなるのはいいことだ。」なんですが、日本が軍国主義だった時代には戦争を正当化する言葉に使われたそうで、現代ではまったく使われていません。
 八紘・・・八方向、つまり東西南北、北東、南東、南西、北西
 一宇・・・一つの家

 

6.最後に
 
神武天皇は実在したのか、というテーマで諸説があります。私は実在したでよろしいと思います。現に、少なくとも明治時代以降は実在を前提に日本が動いてきているからです。皇紀何年とかいう概念もあるし、何より「畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)」が、江戸時代末期に神武天皇の墓と定められました。
 上皇陛下も退位の挨拶に訪れていましたしね。

 

 さぁ、これで「古事記の神様と神社」シリーズは終了となります。お読みいただいた皆様に感謝いたします。次はどうするか考え中です。


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