のと爺の古事記散歩

古希になった爺さんが勝手気ままに古事記を散歩します。

超入門古事記(25)神武天皇即位年~なんで紀元前660年だと分かるの?

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 前回、初代神武天皇が橿原宮にて即位されたという話をしました。そして、その即位年が紀元前660年と言われています。フーン、そうなんやー、で終わってもいいのですが、ちょっと待てよ、なんでそんなことが分かるの? と爺さんは思ってしまったのです。そうなるといろいろ気になって、調べて見ました。

 以下は、約1年前に書いた記事をリライトしてお送りします。あくまでも、普通の爺さんの勝手な意見を書いてありますので、ご了承の上、読んでいただけると幸いです。(意見には個人差があります。)

 本題に入る前に予備知識について書きます。

目次 

 

1.予備知識(1)十干十二支

 十干十二支(じっかんじゅうにし)とは、中国・前漢以降、年を表わすのに使われてきた干支(えと)を言います。十二支はおなじみですよね。

 十干 : 甲(こう)、乙(おつ)、丙(へい)、丁(てい)、戊(ぼ)、
      己(き)、庚(こう)、辛(しん)、壬(じん)、癸(き)
 十二支: 子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥

 これを甲子から始まって順に組み合わせて追っていくと58番目が辛酉、60番目が癸亥となり、次がまた甲子に戻ります。このことから、60才を暦が最初に戻ると言う意味で還暦といいます。

 表にするとこんな感じです。ちょっと見づらいかも・・・。

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 甲子園球場は大正13年に完成しましたが、この年が甲子であったため甲子園と名づけられたと言われています。

2.予備知識(2)辛酉革命

 辛酉革命(しんゆうかくめい)とは、7世紀初頭、中国から朝鮮半島を経て日本に伝わった「辛酉年には社会的大革命が起きる」とする讖緯説(しんいせつ・予言)の一つです。
 予備知識(1)で見てきたように、干支は60年で一周します。この60年を1元といい、21元を一蔀(いちぼう)といいます。60年×21=1260年の辛酉年に国家的革命が行われと言われ、日本では推古天皇聖徳太子のころから信奉されたようです。

3.予備知識(3)日本最初の暦 

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 大和朝廷は暦法や天文地理を学ぶため百済から僧を招き、第33代推古天皇12年(604年)に日本最初の暦が作られました。当時は太陽太陰暦でしたが、なんとこれが明治時代に太陽暦に改められるまで続いたのです。日本で西暦が正式導入されたのは、1873年(明治6年)と言われています。1200年以上も太陰暦が使われていたんですね。ムチャクチャながぁ~~い!

4.神武天皇即位年は、なぜ紀元前660年なの?

 さて、やっと本題です。

 神武天皇が橿原宮で即位されたのは紀元前660年とされていますね。しかし、古事記には即位年については何も書かれていません。
 で、日本書紀を見るとこう書かれています。

辛酉年春正月庚辰朔、天皇即帝位於橿原宮
(かのととり の とし の はるむつき かのえたつ の ついたち
 天皇 は  橿原宮 にて ご即位 に なった)

 この辛酉年春正月庚辰朔を太陽暦に換算すると「紀元前660年2月11日」にあたるとされています。2月11日はかつては紀元節、現在は建国記念の日です。

*建国記念の日については、別途お話しします。建国記念日ではなく、建国記念日です。ここ大事ですね!

 でも、紀元前という概念が日本で使われるのは西暦が採用された明治6年以降ということになります。では、明治時代にどのような解釈が生まれたのでしょうか?

 これには諸説あるようです。一応、有力とされているのが明治時代の歴史学者である那珂通世(なかみちよ)の考え方です。

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「推古9年(601年)は辛酉年に当たるので、日本書紀編纂者は、そこから国家的革命が起きる一蔀・1260年前の辛酉年を即位年とし、日本の紀元としたのだろう。」

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 これが通説と言えるのかは分かりませんが、比較的分かりやすい考え方と思います。

 下の写真は、昨年、爺さんが橿原神宮を参拝に行ったときに撮った南神門の写真ですが、右端に「紀元2679年」と書かれた看板があります。紀元前660+昨年2019=2679年ということですね。つまり、神武天皇即位から2679年という意味ですね。

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5.今回のポイント

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 ここからは私見です。
 当然のことながら、日本書紀編纂時には紀元前とか西暦とかいう概念はありません。
日本書紀編纂者は、間違いなく国家的革命である初代天皇即位年を、MAX遡った辛酉年とすると考えていたのだろうと思います。
 そして明治時代になり太陽暦が採用され、歴史を遡って西暦換算をしていったら、あれれ? 紀元前になっちゃった! ということではないでしょうか。601年から1260年遡ると、紀元前660年になりますね。 では、601年を起点としたのは何故でしょうか。
 これの確固たる理由は分かりません。 あくまで推測ですが、編纂者には推古天皇や聖徳太子に対する畏敬の念があったのだと 思います。二人が活躍した時代に日本初の暦ができたり、国家の礎となる十七条の憲法などが 発布されたからです。

6.まとめ

 さぁ、いかがでしたでしょうか。最後までお読みいただき、有り難うございます。

 うまく説明できませんでしたが、即位が紀元前660年だということが現代社会の根底に今でも残っているということは素晴らしいことだと思います。

 今回はここまでです。次回は何にするか考え中です。

お楽しみに!!

 


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