のと爺の古事記散歩

古希+4歳になってしまった爺さんが勝手気ままに古事記を散歩します。

アマテラス大研究(8)

 

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天孫降臨後のアマテラス(その2)

 アマテラスから授けられた鏡と剣について、初代神武から9代開化天皇までは同殿共床を常としていました。でも、これって結構キツイですよね、常にアマテラスの神パワーを感じていたわけですから。で、「もう僕ちゃんには無理!」と言ったのが10代崇神天皇だったのです。同天皇の御代は疫病が多く起こり、多数の人民が亡くなるという不安な世の中だったことも影響したのかも知れませんね。
 崇神天皇はアマテラスを娘の豊鍬入姫命(トヨスキイリビメノミコト)に託し、大和の笠縫邑(かさぬいむら)に祀ったのです。この地が奈良県桜井市檜原神社と言われています。ここで33年奉斎したのですが、永遠に神事を行うことができる地を求めてさらに巡行を続けることになります。そして垂仁天皇の御代になり、倭姫命(ヤマトヒメノミコト)が宇陀、近江、美濃などの巡行を担い、笠縫邑から通算すると26番目に伊勢国に着いたのです。通算所要年数90年だとか。いやいや、ご苦労様でした。そして、伊勢に来るまでに仮住まいをした所は今でも元伊勢と言われています。元伊勢は東海、近畿を中心に25ヶ所あります。それにしても、アマテラスの面倒を見るのは半端ない!
 伊勢国に着くとアマテラスは倭姫命に言ったそうです。「伊勢国は美しい、ここに居たい。」と。このわがまま振りはどうよ!!周りの苦労に感謝せなあかんで!
そして斎宮五十鈴川のほとりに立てられました。アマテラスが初めて天から降りられた所になりますね。

 ということで、内宮は11代垂仁天皇26年に創建されました。ちなみに、豊受大神を祀る外宮は21代雄略天皇22年の創建です。そして、豊受大神が元いた所も元伊勢と言うそうです。

 さぁ、これでアマテラスは伊勢に落ち着いたし、この大研究も今回で終わりだな、と思ったアナタ!私もそのつもりだったんですが、実はまだあることが分かったんです。

ではでは、今回はこれまで。
次回をお楽しみに! さよなら、さよなら、さよなら!(再び淀川長治風)