のと爺の古事記散歩

古希+4歳になってしまった爺さんが勝手気ままに古事記を散歩します。

神功皇后大研究(6)

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⑤品陀和気命と神の名前の交換

 今回の話は書いてる私もよく理解できない話で、結局なんなの?みたいなものです。多分、古事記の編者は、応神天皇は神とタメなんだぜ、すごいだろ!ってことが言いたかったんだろうと思いますが、よく分からない話です。神功皇后もチョロッと出て来ます。

 忍熊王との戦いの後、武内宿禰は禊ぎをしようとして御子(品陀和気命)を連れて近江と若狭を巡り、越前の角鹿(今の敦賀)に仮宮を造って滞在しました。そしたら、その地におられる伊奢沙和気大神命(いざさわけのおおかみのみこと)が夜の夢にあらわれて「私の名と御子の名を交換しよう」と言ったんです。で、それを承知すると「明日の朝、浜に行きなさい。プレゼントをあげよう。」とまたまた言ったんですね。翌朝、浜に行ってみると鼻が傷ついたイルカが浜一面にいたんです。それを見た御子は、神は私に食料の魚をくださったと言い、神を称えて御食津大神(みけつおおかみ)と名付けました。それが今の気比神社の御祭神である気比大神(けひのおおかみ)なのです。

 という話なんですが、分かります? 分かんないですよねぇ。
 そもそも、御子の夢に出て来たのか、宿禰の夢に出て来たのかはっきり書かれていないんですね。御子の夢だとすると、生まれて間もない御子に神とやりとりすることができるのか、ましてや神に名前を付けるとか出来ちゃうわけ?宿禰の夢だとしても、名前の交換を勝手に承諾しちゃっていいの?
 名前を交換したってことは、御子が伊奢沙和気大神命になり、神が品陀和気命になったっていうこと? でも、この後、いくら古事記を読んでもそんなこと書いてないよ!それに、浜一面のイルカって何頭なのか分からんけど、そんなにもらっても保存に困るんじゃないの? いったい、冷蔵庫がどんだけ必要なの?
 とにかく、この話は何のために書かれたのか意味が分からないんですね。で、私の推測ですが、やがて応神天皇となる御子が神とタメで話をしたり、神に名付けができたりするほどすごいんだ、ということを誇張するためのムリクリ話なんじゃないかな。
    そして禊ぎを済ませて大和に帰ったとき、母親の神功皇后が祝福の宴を開き、「これは少名毘古那神が醸して下さった酒だ、さぁ飲みなさい。」と訳の分からないことを言うんですね。どうやら、神が作った酒で宴を行うことで即位が承認されたことになるそうです。少名毘古那神とは、かつて大国主神と一緒に国造りをした神ですが、突然の登場の意味が分かりませんね。

 古事記はこのあと仲哀天皇と神功皇后の崩御についてふれ、仲哀天皇の段を終了します。ただ、日本書紀によれば応神天皇の即位は約束されてはいるが、生まれてすぐに政治が出来るわけではないので神功皇后が摂政として当面の政治に当たったんですね。
日本書紀には摂政時代の事績も書かれていますが、ここでは省略します。神功皇后は100歳で崩御されています。

 で、時間の流れがどうもよく分からないので、時系列にまとめてみました。

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 こんな感じになります。禊ぎをしたのは忍熊王討伐直後かと思ったら、13年も後の話なんですね。そして応神天皇が即位したのは70歳の時だって。神功皇后の摂政政治が長すぎたのか、応神天皇の即位があまりにも遅いですよね。 

 まぁ、そんなこんなで神功皇后大研究も終わりです。次回で総括しますよ!

 ではでは今回はここまで。次回をお楽しみに!!