突然ですが、ここで一曲。「ゆーしーまー とおれぇーば おもいだぁーす~♪」。この歌をご存じの諸兄、よくぞ今日までお元気で。謹んでお喜び申し上げます(お前はきみまろか!)。
1942年といいますから、爺さんが生まれる前ですが、泉鏡花原作映画「婦系図」の主題歌として大ヒットした曲です。そして、主人公の早瀬主税が愛人お蔦に別れを切り出しますが、その舞台となったのが湯島神社(湯島天満宮)です。私、これカラオケで歌います。(どうでもいい話でした(_ _))
ここは梅の名所で、毎年2月始めから梅祭が行われます。今年は8日からということでしたので、混む前にということで5日に行って来ました。あっ、ここは東京十社には入ってません。
目次
1.場所
ここです。
2.御由緒と御祭神
行ってみたら、当然と言えば当然ですが、梅祭にそなえて屋台等の設営が行われていました。御由緒板もあるのですが、屋台の後ろになってしまいうまく写真が撮れませんでした。下の方が影で読めません。
社伝によれば、雄略天皇2年1月(458年)、雄略天皇の勅命により天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)を祀る神社として創建されたと伝えられている。南北朝時代の正平10年(1355年)、住民の請願により菅原道真を勧請して合祀した。この時をもって正式な創建とする説もある。当の湯島天満宮では458年創建としている。
徳川家康が江戸城に入ってから徳川家の崇敬を受けた。江戸時代には多くの学者・文人が訪れ崇敬を集める一方、享保期には富籤の興行が盛ん(江戸の三富の1つ)になり庶民に親しまれた。
(ウィキペディアより)
天満宮ですから御祭神は菅原道真だということは分かりますが、創建時は天之手力雄命だったんですね。これは知らなかったです。
ということで、御祭神は天之手力雄命と菅原道真です。
①天之手力雄命(古事記では天手力男神)とはどんな神様?
アマテラスが天之岩屋戸に籠もってしまったため、高天原の神々は岩屋戸の前でドンチャン騒ぎをしてアマテラスの気を引こうとします。
案の定、気になったアマテラスは戸を細く開けてアメノウズメに聞きます。
アマテラス「高天原も葦原中国も真っ暗なのに、何をさわいでいるんじゃ?」
ウズメ 「あなたさまよりもっと素敵な神様が現れたんです!」
アマテラス「マジすか?!どれどれ。」
と言って、アマテラスが、差し出された鏡に映った神様(実はアマテラス自身)を見ようと身を乗り出した時に、戸の脇に隠れていたタジカラオがアマテラスの手を取って岩屋戸から引き出したのです。
そして、長野県の戸隠神社にはこんな伝説があります。タジカラオが力任せに岩屋の扉をウリャー!と放り投げた。その扉が飛んできて山になったのがご神体の戸隠山である。ということで戸隠神社の御祭神はタジカラオです。
②菅原道真とはどんな人?
道真が学問の神様と言われていることはご存じですよね。今の時期、受験生が大勢お参りに来ていますね。でも、そもそもどんな人?って聞かれるとなかなかうまく答えられない方もいらっしゃると思います。私もその一人です。そこで、復習しましょう。詳しくは太宰府天満宮のHPをご覧下さい。
まず、菅原氏のルーツを探ると、「前身は天穂日命の子孫で野見宿禰を家祖とし、葬送を職掌としている土師氏である。天応元年(781年)に土師古人が改姓を申し出たことから菅原姓を称するようになった。」とあります。
天穂日命(古事記では天菩比命)とは、アマテラスとスサノオの誓約から生まれた五
柱の男神のうちの一柱です。そして後の国譲りの段で、交渉の使者として最初に遣わされました。ただ、オオクニに媚びてしまい3年経っても戻らなかったんですね。
それはそれとして、神様がルーツですから血筋は問題なく、代々優秀な官僚の一族の出身ですから頭もいい、そりゃぁもうスーパーエリート出来杉くんなんです。さらに、第59代宇多天皇に重用され、右大臣に上り詰めます。
③菅原道真の左遷と怨霊
ところが、いつの世でも出る釘は打たれるんですね。当時の宮廷内は藤原氏の勢力が強力で、藤原氏による他氏排斥が行われていました。そんな中、左大臣の藤原時平の謀略により無実の罪を着せられ、九州太宰府に流されてしまいます。京から太宰府に向かうときに歌った有名な歌が百人一首にあります。
東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春なわすれそ
そして道真邸の梅が一夜にして京都から太宰府に飛んだという「飛梅伝説」もありますね。
昌泰4年(901)57歳の時に左遷され、翌々年の延喜3年(903)に太宰府で亡くなりました。ところが、このあとが実に恐ろしい話になります。道真の死後、京都では疫病や異常気象など不吉な事が続き、さらに6年後の延喜9年(909年)には藤原時平が39歳の壮年で死去。これらのできごとを「道真の祟り」と恐れてその御霊を鎮めるために、醍醐天皇の勅を奉じた左大臣藤原仲平が大宰府に下向、道真の墓所の上に社殿を造営し、延喜19年(919年)に竣工したが、これが安楽寺天満宮の創祀であると言われています。
しかしながら、その後も祟りとされる出来事が続き、延長8年(930)6月、醍醐天皇臨席のもと、会議のため貴族が居ならんだ清涼殿に落雷があり、死傷者が出る事態となった清涼殿落雷事件が起きます。
わずか30年ほどの間に道真「謀反」にかかわったとされた天皇1人・皇太子2人・右大臣1名以下の高級貴族が殺害されたことになるが、猛威を振るう「怨霊」は鎮まらず、道真には太政大臣追贈などの慰撫の措置が行われ、道真への御霊信仰は頂点に達した。
正暦元年(990年)頃からは本来は天皇・皇族をまつる神社の社号である「天満宮」も併用されるに至った。
道真の御霊に対する恐れも少なくなってきた中世ごろから、道真が生前優れた学者であったことにより学問の神としても信仰されるようになった。
(以上、ウィキペディアより)
ということで、現在のような学問の神様として祀られるようになるまでは相当大変な時代があったということです。恐!
3.参拝
では、参拝しましょう。境内はこんな感じです。
本郷三丁目方面の湯島天神入口交差点に建っているのが冒頭の大鳥居です。ここからまっすぐ歩くと⑧の銅鳥居があります。ここが表入口と思います。この鳥居の亀腹は社紋である梅の形です。
参道の両側には屋台が並んでいます。正面が拝殿ですが、手前に手水舎があり、手水舎脇には撫で牛が2頭います。ん~、爺さんはどうしても頭を撫でてしまいますね。もう間に合わないのにね!(笑)
そして狛犬です。個性的な顔つきですね。
平成7年造営の総檜造りの社殿です。そして本殿もグルリと廻って見られます。
本殿
4.境内社
笹塚稲荷神社
戸隠神社
5.境内の梅
どれもきれいですね。
6.境内のその他
境内には見所が色々ありますが、代表的なものをいくつか。
唐門
男坂
女坂
夫婦坂
瓦斯灯
泉鏡花筆塚
王貞治努力碑
7.ご朱印
8.まとめ
さぁ、いかがでしたでしょうか。最後までお読みいただき、有り難うございます。
梅まつり本番前でしたが、十分楽しめました。境内はそれほど広くはありませんが、お伝えできなかった見所が多くあります。みなさまにも機会がありましたら、是非ご参拝をお薦めします。
道真は悲しい運命の方でしたが、今の時代でも多くの人々に影響を与えています。
やはり、スーパーエリート出来杉くんですね!
では今回はここまでです。次回をお楽しみに!
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