柏市に隣接して我孫子(あびこ)市があります。我孫子市にはどんな神社があっかなと調べていったら、「葺不合神社(ふきあえずじんじゃ)」という名前の神社を見つけました。ふきあえず、と言ったら、あのフキアエズか? そう、初代神武天皇の父親であるフキアエズ。正式には天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひこひこなぎさたけうかやふきあえずのみこと)なんですね。
フキアエズを祀る神社と言えば、宮崎県日南市の鵜戸神宮が有名だけど、ほんとに我孫子にあるんかい、こりゃ行って確かめるしかなかんべ!
ネットを見るとこの神社に関する記事がいくつかありましたので、それらを参考にさせていただいて、少々の予備知識を持って期待感十分で行って来ました。
ところが・・・・・。
1.場所
ここです。
2.御由緒と御祭神
神社内に由緒板がありました。長いので簡単に言うとこういうことだと思います。
この地は、古くは江戸期に弁天堂として市杵島比売命が祀られていて、明治になって厳島神社と改名した。明治39年(1906年)以降に進められた神社合祀政策によって、ここから約300m離れた場所にあった葺不合神社と二の鳥居がこの地に移築された。そして、元の葺不合神社を本殿、厳島神社本殿を拝殿として神社名を「葺不合神社」と改称した。
でも、爺さんが知りたかったのは、そもそも東日本には珍しいフキアエズを祀る神社が、どんな経緯で現在の我孫子にあるのかということ。この疑問は解決していない。
御祭神は鵜葺草葺不合命と市杵島比売命となりますが、この二柱の神様については説明をすると相当長くなりますので簡単に。
市杵島比売命はアマテラスとスサノオの誓約から生まれた宗像三女神のうちの一柱です。ヒンズー教の神様の弁財天が神仏習合により日本の神道に組み込まれ、市杵島比売命と同一視されるようになったのです。そして古くから弁財天を祀っていた社は、神仏分離以降は宗像三女神や市杵島比売を祀るようになった、ということです。
そして、フキアエズですが、これはよろしければこちらをご覧下さい。めんどくさかったら、初代神武天皇の父親と認識して下さい。
3.参拝
では、参拝しましょう。一の鳥居が国道356号線に面して建っています。国道とは言え、片道一車線で狭く、歩道は縁石がありますが人一人通るのがやっとの狭さです。
よって、道路の反対側から写真を撮ると冒頭のようになりますが、鳥居側から撮るとこんな角度になります。
鳥居のそばには石碑や石仏があります。神仏習合の名残か?
鳥居をくぐると参道ですが、なんか鬱蒼としていて整備されているとはとても言えません。これ、絶対、夜は誰も来ないでしょう。
先は階段になっていてそこを降りていきます。
階段を降りたその先はこんな景色で、手水舎があります。でも、今にも壊れそうで、水は入っていません。
左側に弁天池があるんですが、これほんとに池か?
手水舎の反対側には立派な古木があります。我孫子市保存樹木の大銀杏です。
手水舎の先に二の鳥居があります。そして脇には御由緒板です。
鳥居の先は階段になっています。上ったところが拝殿ですね。
4.拝殿
狛犬が迎えてくれます。よく見るとミニ狛犬もいました。
これが拝殿、つまり元厳島神社の本殿ですね。明和2年(1765年)創建です。当時の仏殿形式だそうです。こりゃ凄いべー!
5.本殿
拝殿と本殿は繋がっていなくて、拝殿脇の道をもう一段上ります。えぇー!これが本殿かや? 鉄格子で囲われてるやんけ!
明治30年(1897年)に建てられた本殿壁には神話を題材にした彫刻が施されています。鉄格子の隙間から撮っていますので、上手く撮れていないかも・・・。
正面 昇り龍と降り龍
右側面 八岐大蛇退治
後面 天岩戸
左側面 神武東征
屋根
6.摂末社
拝殿から上ってきた反対の道を下って行くと摂末社があります。
蚕影山神社
三峰社
妙見社
水神社
白山社
道はこんな感じです。とても歩きづらい。
7.霊場七十七番札所
摂末社のある道を下りきると新四国相馬霊場七十七番札所があります。
8.ご朱印
これで境内は一巡しました。お読みいただいてお分かりのように社務所、あるいは授与所はありません。そもそもが無人の神社なんです。
ネット情報によると、ここから3~4kmのところにある竹内神社でご朱印がいただけるとありましたので、すぐに向かいました。
9.竹内神社
着いてはみたものの、なんと、ここも無人で社務所らしき所は閉まっていました。なぁ~んだ、結局ダメじゃん。もういいや、ご朱印は諦めました。それにしても、ここも手入れが行き届いているとはとても言えません。手水舎に水がありませんし、境内は荒れ放題?
10.まとめ
さぁ、いかがでしたでしょうか。最後までお読みいただき、有り難うございます。
葺不合神社の、拝殿、本殿、二の鳥居は我孫子市指定文化財だということです。確かに一見する価値は十分あると思いました。ご朱印がゲットできなかったのは残念です。
それにしても、管理という面では首をかしげざるを得ません。よく言えば「自然のままに」なんでしょうが、爺さんから言えば一の鳥居を入った所から「荒れ放題」です。
初代天皇の父親を祀る神社としては如何なものでしょうか。
爺さんは神社に行くと、手水舎をしっかり観察します。なぜなら、手水舎を使うのは参拝者が禊ぎをするという意味があります。つまり、神社が参拝者を気持ちよく迎えてくれているかは、手水舎が綺麗に保たれているかどうかで分かるからです。これは無人であっても同じです。兼務社の仕事だと思います。
(意見には個人差があります。)
今はコロナで閉鎖されている所が多いですが、その場合はきちんと説明書きがあります。なにもなく、水すら入っていないのは爺さんにとってはあり得ないのです。
とても素晴らしい神社で行って良かったという気持と、なんかスッキリしない気持と半々で帰って来ました。
関東もやっと梅雨明けが近いようです。一方で、東京のコロナ感染者は天井知らずですね。官房長官はあんなに落ち着いていますが、ほんとに大丈夫か? 人がバタバタと死なない限り、緊急事態ではないと言ってるみたいだ。
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