皆様ご存じ、東照宮といえば御祭神は徳川家康ですね。ということで、今回は古事記の神様とは異なりますのでご了承下さい。
東照宮といえば、思い浮かぶのは静岡県の久能山東照宮、栃木県の日光東照宮でしょうか。しかし、現在は全国に20数カ所も東照宮があるそうです。そして、東京都にもあるんですね。爺さんは2019年9月に芝東照宮を訪れましたが、今回は上野東照宮です。コロナ禍で東京方面の神社巡りを控えていたのに、なぜ上野かというと、現在、上野恩賜公園に隣接した東京国立博物館で開催中の「聖林寺十一面観音」特別展を見に行ったので、その帰りに参拝に訪れた次第です。
1.場所
ここです。
2.御由緒と御祭神
そもそも、上野恩賜公園(略称:上野公園)とはいかなる場所か、とってもなが~い話になりますので簡単に言うと、もともとは東叡山寛永寺(*)の広大な境内だったんですね。そして、寛永4年(1627年)、津藩主藤堂高虎と天台宗僧侶天海僧正により、寛永寺境内に家康を祀る神社が建立され、正保3年(1646年)に正式に宮号を授けられ「東照宮」となりました。
現在、御祭神は徳川家康、徳川吉宗、徳川慶喜の三人となっています。
*東叡山寛永寺
天台宗別格大本山のお寺です。寛永2年(1625年)に徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため、江戸城の鬼門(北東)にあたる上野に慈眼大師、天海大僧正によって建立されました。
上野の歴史を語るには、爺さんの知識ではとてもとても語れませんので、ご興味のある方はHPなどをご参照下さい。
上野東照宮HP
上野恩賜公園HP
3.参拝
国立博物館を出て、メインの通りを直進すると右手に上野動物園入口が見えてきます。そこをそのまま通り過ぎるとこんな看板があります。
矢印に従って右折するとこんな感じ。奥に鳥居が見えますね。
石造りの明神大鳥居です。
右の柱には東照大権現の文字が刻まれています。
左の柱には、寛永十年癸酉四月十七日 厩橋侍従酒井雅楽頭源朝臣忠世 とあります。当時の老中の酒井忠世が奉納したと言うことですね。凄!
(下の方が切れてました!)
鳥居をくぐるとすぐに水舎門です。これまた、歴史観たっぷりです。
門の先は参道です。両サイドには石灯籠がズラーッと並んでいます。凄い景観だ!
途中の左側に手水舎があります。そして迫力満点の狛犬君がお出迎え、恐!
そして正面に唐門です。正式には唐破風造り四脚門(からはふづくりよつあしもん)というそうです。左甚五郎の昇り龍、降り龍などの彫刻が精巧で、素人が簡単にすばらしいなんて言うレベルじゃないですね。いやー、金ピカやでー!
4.社殿
通常は、この唐門前で参拝すれば十分なんですが、せっかく来たので社殿を見たいですよね。社殿は四方を透塀(すきべい)で囲まれているので、拝観料を支払って塀の中に入るようになります。入ってビックリ、ひゃー!またまた金ピカやでー!
唐門の内側です。
透塀
5.その他
石灯籠
境内には約200基があるそうです。そのほとんどが社殿造営の慶安四年(1651年)の
日付が見られます。
お化け灯籠
大鳥居の脇の少し離れたところに大きな石灯籠があります。寛永8年(1631年)に佐久間勝之により奉納されたもので、高さ6.8mあります。余りの大きさからお化け灯籠と呼ばれています。写真でその大きさが伝わるでしょうか。
神楽殿
その他、樹齢600年のご神木である大楠があるのですが、周辺が工事中とのことで見ることができませんでした。ざんねん!
6.ご朱印
分かりずらいかも知れませんが、朱印の文字は右から縦に「天海僧正、東照神君、藤堂高虎」とあります。
7.まとめ
さぁ、いかがでしたでしょうか。最後までお読みいただき、有り難うございます。
これまでも上野東照宮を訪れたことはありましたが、ブログを意識して参拝したのは今回が初めてでした。私は栃木県出身なので、日光東照宮はそれこそ小学生の頃から何度も行っています。日光に比べればコンパクトな上野東照宮ですが、やはり目の当たりにすると感動しますね。徳川の力は我々の想像を遙かに超えるものだったと思います。
さて、冒頭、聖林寺十一面観音特別展の話をしましたが、その他、寛永寺を含めて上野公園内にある寺社をいくつか廻ってきましたので、次回はこの話をします。寺社混合の記事になりますが、たまにはよろしいでしょう。
是非、ご覧いただけると嬉しいです。
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