東京都足立区千住は、松尾芭蕉が「奥の細道」の旅へ出発した地点だということをご存じでしょうか。実は、私は全く知らなくて、近場でまだ参拝したことのない神社をいろいろ調べていくなかで知った次第です。その芭蕉の句碑がある神社で、「蘇民将来子孫也」を前面に謳っているのが南千住にある素盞雄神社(すさのおじんじゃ)です。
1.場所
ここです。
2.御由緒と御祭神
当社の開祖・黒珍(こくちん:修験道開祖・役小角の高弟)の住居の東方に小高い塚があり、その上に奇岩があった。黒珍はその奇岩を日夜礼拝していたが、延暦14年(795年)4月、奇岩が突如光を放ち二柱の神様が現れた。(あんたはターミネーターかよ!)二柱の神様とは、素盞雄大神と飛鳥大神です。黒珍は二柱の神様から神託を授けられ、祠を建て丁重にお祀りした。これが当社の創建と言われています。
スサノオはもう皆さんよくご存じと思いますが、アスカオオカミはどうでしょうか。
大国主命の御子で別名を事代主神、または一言主神と言います。そう、恵比須様のことなんですね。
当社のHPはこちらです。
境内には蘇民将来子孫也と書かれた幟などが目立ちます。蘇民将来の話はご存じの方もいらっしゃると思いますが、下記の過去記事を読んでいただけると嬉しいです。
3.参拝
国道4号線沿いに鳥居が建っていますが、ここは東参道の入口で、表参道は4号線と交差している細い交差点を入った狭い道に面しています。
鳥居の脇には貫禄ある狛犬が。文化5年(1808年)奉納とありましたが、保存がとても良いですね。
鳥居の先、すぐ右手に手水舎です。センサー式になっていました。ここの水は御神水でもあるんですね。
そして、手水舎の対面には由緒板が・・・。昭和12年に書かれたものですね。
ん~、読めません! でも保存されていて、素晴らしいです。
4.拝殿
正面に拝殿です。その前には一対の獅子山があります。年代は分かりませんでしたがこれも立派ですね。左側は親子獅子ですね。
昭和20年の東京大空襲で本殿以外のほとんどの建物が焼失し、現在の拝殿は昭和32年(1957年)に再建されました。焼失はもう勘弁ということでコンクリート造りです。
5.本殿
現在の本殿は昭和56年(1981年)に改修が行われました。覆殿になっていて屋根しか見ることができません。
6.瑞光石と富士塚
社殿右に、創建由来の瑞光石と江戸時代にできた富士塚があります。
7.奥の細道矢立て初めの句碑
千住は、松尾芭蕉の「奥の細道」の旅の出発地だったってご存じでしたか?えっ、知ってた!もしかして天才?!!
奥の細道にはこう記されているそうです。(爺さんは読んだことありませんが・・)
「千じゅと云所にて船をあがれば前途三千里のおもひ胸にふさがりて幻のちまたに離別の泪をそそぐ」
この時、芭蕉が詠んだ矢立て初めの句碑が境内にあります。
「行く春や鳥啼き魚の目は泪」
春が去ろうとしている そして我々も旅立とうとしている その心細さ鳴き声が
泣いているように聞こえ 魚の目には涙が浮かんでいるように思える
8.末社
社殿左手には末社三社があります。左から福徳稲荷神社、菅原神社、稲荷神社です。
9.その他境内
〇ご神木(子育ての銀杏)
〇地蔵・庚申塔
〇神楽殿
〇おみくじ(傘みくじが珍しい)
〇授与所
〇東参道鳥居
〇西参道鳥居
10.ご朱印
ご朱印と任意ですが、「奥の細道旅立ちの碑」の印もいただけます。但し、現在はご朱印、旅立ちの碑の印とも書き置き形式です。
11.まとめ
さぁ、いかがでしたでしょうか。最後までお読みいただき、有り難うございます。
これまで私が参拝した神社の中では、蘇民将来子孫也を前面に出している神社は少なかったです。この話は古事記にはでてきませんが、全国的な伝説として有名ですね。
ほとんどの神社で6月、12月に茅の輪を設置しますが、スサノオの茅の輪が由来となっています。悪疫退散にはアマビエが有名ですが、スサノオもお忘れなく。
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