のと爺の古事記散歩

古希+3歳になってしまった爺さんが勝手気ままに古事記を散歩します。

古事記の神様と神社・ご近所編Part3(46)~築土神社~究極のビル谷間神社

 先般来、都心のビル谷間の神社を数社ご紹介してきましたが、今回はその究極といってもいいんじゃないかい? という神社をお伝えします。東京都千代田区九段北にある築土神社(つくどじんじゃ)です。何がどう究極なのか、ぜひぜひご覧下さい。こんな神社、はじめてやーぁ!とどなたもおっしゃると思います。

 

 

1.場所

 ここです。

2.ご由緒とご祭神

 天慶3年(940年)、関東平定の末、藤原秀郷らの手で討たれ京都で晒し首にされていた平将門公の首を首桶に納めて持ち去り、これを武蔵国豊島郡上平河村津久戸(現・千代田区大手町周辺)の観音堂に祀って津久戸明神としたのが始まり。江戸城築城後の文明10年(1478年)には太田道灌江戸城の乾(北西)に当社社殿を造営、以来、江戸城鎮守神として厚く尊崇された。
 その後、幾度かの移転の後、昭和29年(1954年)に現在地に移転した。更に、社殿の老朽化により平成6年(1994年)に大改築され、ビル(九段アイレックスビル)の奥に社殿が建つという現在の姿になった。
 将門の首桶がご神体という、ちょっとばかりおどろおどろしていたが、明治7(1874年)、明治政府は天津彦火邇々杵尊(あまつひこほのににぎのみこと、つまり天孫降臨した二二ギです)を主祭神とし、朝敵であった将門は相殿となった。尚、首桶は昭和20年の東京大空襲で焼失し、写真のみが残っているそうです。

当社HPはこちらです。

3.参拝

 では、参拝しましょう。
九段北一丁目の交差点を西へ、中坂という坂道を登っていくと途中にこんな標識が立っていました。

 石柱には上記の御由緒で述べたことが書かれています。後方の車両の傾きで坂の傾斜がお分かりでしょうか。

 登るにつれ段々傾斜もきつくなってきますが、ほどなく左側に社名碑と鳥居が見えてきました。ひぇ~、なんじゃこりゃ、ビルが鳥居に乗っかっているやないけぇー!!


 要するに、ビルの一階部分に鳥居が立っているという(つまり、鳥居の上の階はビジネスフロア)、まさに初めて見る光景なのであります。
 鳥居の前には牙の鋭い狛犬さんがいます。ちょっと恐!


 鳥居をくぐります。これが参道になるんですかね。突き当りに社殿のようなものが見えますね。


 突き当りにはもう一対の狛犬と手水舎です。この狛犬は安永9年(1780年)奉納されたそうで、現代の狛犬とは雰囲気が違いますね。


手水舎には柄杓が置いてありました。なぜか気持ちが落ち着きます。

4.社殿

 平成6年に新築されたコンクリート製の社殿です。キツキツの境内ですが、社殿はドッシリとして重厚感があり、将門の九曜紋も見られます。さすがに社殿の上は吹き抜けになってますね。

5.境内社

 〇世継稲荷

 社殿右側にこんな案内板があります。


 矢印の方向には朱色の鳥居と幟があり、その先を進むと稲荷神社があります。


 嘉吉元年(1441年)に創建された稲荷神社です。二代将軍秀忠が参拝の折、橙(だいだい)の木があるのを見て「代々」と同音であったことから「代々世を継ぎ栄える」と称賛した。ここから「世継稲荷」と言われるようになったとのことです。


〇力石


〇天水桶

 文政元年(1818年)に奉納されたもので繋ぎ馬が彫られています。将門が使用した陣幕には九曜紋や繋ぎ馬が描かれていたそうです。


社務所

 世継稲荷の対面に怪しい入口が、これ、社務所の入口で完全にビルの1階です。

6.ご朱印

 九曜紋や繋ぎ馬が見えます。

7.まとめ

 さぁ、いかがでしたでしょうか。最後までお読みいただき、有難うございました。

 諸々の理由があって現在のスタイルになったのでしょうが、インパクトがありましたね。でも、神社自体は大変歴史ある神社で、現在は主祭神がニニギに変わっていますがあちこちに将門を思わせるものがあり、とても興味深かったです。1000年以上も前の武将である将門の人気(?)たるや、恐るべし。

 


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