いきなりですが日本史の勉強をしましょう。はい、「安政の大獄」とは何か説明しなさい。えーっ、確か、安政5年(1858年)ごろ幕府大老井伊直弼によって攘夷派が弾圧処刑された事件。桜田門外の変は安政の大獄が起因している。ん~、まぁ20点の解答じゃな。この安政の大獄によって処刑された一人に吉田松陰がいます。
今回訪れたのは、東京都世田谷区にある松陰神社です。同神社は山口県萩市鎮座が有名ですが、実は東京都にもあったんですね。萩市鎮座と区別するため世田谷松陰神社という場合もあるそうです。あっ、ご祭神は古事記の神様ではありませんのでご了承下さいね。
1.場所
ここです。
2.ご由緒とご祭神
とても分かりやすい由緒板があったので、そのまま貼り付けます。
吉田松陰ですが、本名は大次郎、通称が寅次郎、諱(いみな)が矩方(のりかた)、号が松陰、ん~、わけわからんがご祭神となると吉田寅次郎藤原矩方命となる。
当社HPはこちらです。
3.参拝
では、参拝しましょう。東急世田谷線松陰神社前駅から商店街を北方向へ5分ほど歩くと神社前に出ます。立派な大鳥居ですね。まだ新しそうです。
▼大鳥居のすぐ先に旧鳥居の柱の一部が置かれています。
▼大鳥居をくぐると、とっても奇麗な参道です。
▼正面奥に社殿が見えます。社殿の左手前には手水舎ですね。
▼社殿前広場の入口には石灯籠が並んで配置されています。
4.社殿
創建当時の社殿は、現在、本殿の内陣となっており、現在の社殿は昭和2~3年に造営されたものということです。とても奇麗な社殿です。
▼本殿は辛うじて屋根だけ見えます。
5.松下村塾
山口県萩にある松陰神社境内の松下村塾を模したものが、拝殿右脇に設置されています。雨戸開放は土日祝のみということで見られませんでしたが雰囲気を感じることはできます。爺さんは、もう10年以上前ですが、萩の松下村塾を拝観したことがあり、意外と狭かったんだなぁと感じたことを覚えています。
6.松陰先生他烈士墓所
歴史的にはいろいろありながら、明治2年完成した墓域が社務所裏にあります。
7.その他境内
〇神楽殿
〇松陰神社道の道標
〇吉田松陰先生像(参道脇)
〇社務所
8.ご朱印
9.まとめ
さぁ、いかがでしたでしょうか。最後までお読みいただき、ありがとうございます。
世田谷に松陰神社があることは、ずっと以前から知っていました。実は、もう半世紀以上前になりますが、貧乏学生だったころ松陰神社駅から徒歩圏内に下宿をしていました。世田谷線(当時は二子玉川線)は通学でよく利用していましたので、神社の存在は認識していましたが、参拝には全く行っていませんでした。
半分、懐かしさもあり、今回参拝に行ってきました。第一印象は、境内隅々までとても奇麗に管理されており、チリ一つなく、社殿や建造物も素晴らしかったです。とてもすがすがしく参拝できました。
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