のと爺の古事記散歩

古希+4歳になってしまった爺さんが勝手気ままに古事記を散歩します。

古事記の神様と神社・ご近所編Part3(87)~吉原神社~悲しい歴史があります

 皆さんは、「吉原」という地名から何をイメージされるでしょうか。ほとんどの方はいわゆる「吉原遊郭」を思い浮かべると思います。今回訪れたのは、吉原遊郭とともに歩んできたといわれる吉原神社(よしわらじんじゃ)です。このあたりは今でも大人の男性を相手にした特殊世界で、爺さんも若かりし頃、たまにお世話になったような、ならなかったような、今では全く記憶にございません。(笑)
 あっ、こんな話をするつもりじゃなかった、スミマセン。(-_-;)

 

 

1.場所

 ここです。

2.ご由緒とご祭神

 吉原遊郭は、元和3年(1617年)、幕府の許可により江戸市中に散在していた遊女屋を現在の日本橋人形町周辺に集めたことに始まります。この地は葦(よし)が生い茂っていたことから葦原、これが転じて吉原と命名され、次第にこの地が江戸の中心になってきたことから明暦3年(1655年)に現在地に移転されました。元々の吉原を「元吉原」、移転後の吉原を「新吉原」といいます。
 明治14年1881年)、新吉原に存在した五社の稲荷社が合祀され、吉原神社と名付けられました。

 ご祭神は、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)です。いずれも吉原遊郭の遊女等による信仰を集めた神様です。

 
 当社のHPはこちらです。

3.参拝

 東京メトロ日比谷線三ノ輪駅から国際通りを10数分南下、酉の市で有名な鷲神社の前を通り過ぎて次の脇道を東へ道なりに進むと吉原弁財天のある通りに出ます。そこをそのまま進むとほどなく吉原神社の鳥居前に着きます。


▼鳥居のすぐ手前に独特の風貌の狛犬です。なんとなく中国系?


▼鳥居をくぐるとすぐ右手にシンプルな手水舎です。


▼正面に拝殿です。旧社殿は関東大震災や戦災で幾度か焼失し、現社殿は昭和43年(1968年)に再建されたものです。


▼軒下には、吉原神社、吉原弁財天、そして合祀された五社の稲荷社名の提灯が下がっています。

4.境内社

〇お穴様

5.その他境内

〇逢初桜


久保田万太郎歌碑


〇龍燈鬼と天燈鬼の石像


社務所

6.吉原弁財天本宮

 吉原神社から飛び地で弁財天本宮があります。大正12年(1923年)、関東大震災によって吉原も火災が発生。逃げ遅れた遊女らが当地の弁天池(現在は埋め立てられている)に飛び込み溺死。490名の死者を出す悲劇となった。
 境内には犠牲者を弔う多くの慰霊塔や供養塔が置かれている。境内では当時の模様を写した写真を見ることができるが、とても悲惨なものでした。

7.吉原大門跡

 吉原遊郭の唯一の出入口だったのが「吉原大門」。神社が面している通りを東へ数分歩くと「よし原大門」と書かれている街路灯があります。ここが当時、大門が建てられていた場所とのこと。ここを境に悲喜こもごもがあったのでしょうか。


▼大門跡から神社方向を見てみるとこんな感じ。なるほど~、お店の看板がねぇ~。

8.ご朱印

 吉原神社と吉原弁財天の両方をいただきました。弁財天のご朱印は弁天様の神使である蛇の崩し字で「よしわら」と書いてあります。両方とも書き入れです。凄!

9.まとめ

 さぁ、いかがでしたでしょうか。最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 今回の吉原神社は、その背景にはいろいろな人生模様があるように思え、特に弁財天本宮はお参りをしていても境内の空気感が違い、背筋が自然と伸びる感覚でした。
お詣りができて良かったとつくずく思った次第です。

 

 

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